左右のでスクロールします。下の画像は柏の「むかしの写真」です。各画像をクリックすと拡大表示され、「むかしの写真」と「いまの写真」を見比べることができます。
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昭和17年
営門のあったところの風景 平成25年
[No.41]
昭和29年
平成25年
[No.42]
昭和56年
国道6号と牛車
平成26年
[No.43]
昭和44年
駅舎は小さく老朽駅前広場は狭く、雨が降れば「雨宿り」の人々で駅舎は溢れ、客待ちのタクシーの多い時はバスはUターンに苦労した。「通勤地獄」が深刻な問題になった。
高島屋・そごう・丸井店などの百貨店、巨大ショッピングモールの進出等、ダブルデッキで駅とつなぐ斬新なスタイルに変化。
平成25年
[No.44]
昭和46年
再開発前のサンサン通り。雪が積もった後でぬかるみに。正面奥が水戸街道。
平成25年
[No.45]
昭和33年
ホームにはなつかしい形と色の電車が止まっている。ホームにたたずむ女の子は当時3歳。千葉県では、唯一の頭端式ホーム(スイッチバック駅)。
平成22年
[No.46]
昭和45年
建設予定地の前で
平成23年
[No.47]
昭和41年
鉄塔通り開発当時は、ハス田と沼地で重機がもぐるほど大変な作業だった。
豊住温泉センター高台から望む 平成23年
[No.48]
昭和46年
重い荷物を背負って上がる人は、行商人であろうか。当時国鉄柏駅1日の平均乗降客は約2900人、乗り換え客を入れても3700人ほどであった。駅の東西が自由通路となったのは昭和46年7月の事である。
平成26年
[No.49]
昭和41年
国道16号は当時片側1車線でトンネル穴も1つ。トンネルは台地を切り通し、コンクリートでトンネルを作り土で覆った。同時に戸張城跡の遺跡調査も行われた。道沿いは田んぼが広がっていた。
平成25年
[No.50]
昭和36年
昭和36年の開業で、社長の鈴木駒彦氏の「駒」の時から店名をきめたという。ショーケースには電球や電池が並べられ、ローラーで脱水する洗濯機が売られていた。当時、店舗の裏は林で鳥の声が聞こえた。
平成23年
[No.51]
昭和41年
トラックが国道16号の大井交差点方向へと進んでいく。当時は交通量も少なく、県道を行き交う自動者の数も少なかった。
平成21年
[No.52]
昭和35年
現在の明和学院前あたりから酒井根方向を望む。奥の田中商店前にバス停があり、数人がバスを待っている。道路は未舗装で雨が降るとぬかるみができた。左側には光ヶ丘団地がある。
平成23年
[No.53]
昭和40年
幼児が道で遊んでいる。道路は未舗装で、道沿いには畑が広がっていた。左手には1軒家屋の賃貸住宅、となりには床屋さん、その先にはブロックが積まれている。逆井駅西側で駅まで400mほどの場所である。
平成21年
[No.54]
昭和41年
柏駅東口から長全寺を通り桜台へと向かう道筋。三井生命事務センター前の坂道を下ると谷津が両面に開ける。低地を埋めて道路、その先の台地を切り通して住宅地にした。ブロックや石垣は切り通しの法面。
平成24年
[No.55]