ガラス、鏡のアート
中里保子さんの万華鏡展
――流山市の江戸川沿いにある流山本町大通りは水運、みりん醸造で栄えた江戸から明治期の風情を残す。築130年という寺田園旧店舗の土蔵もその一つ。流山市がリニューアルを繰り返して今夏から「流山万華鏡ギャラリー&ミュージアム」となった。
■写真上:入場者のシルエットも印象的な展示会場
1階が渋い外観から想像できない今風のカフェ、階段を上った2階がギャラリーで、照明を抑えた空間に万華鏡の灯りが浮かび上がる。地元の万華鏡作家、中里保子さんのオリジナリティーあふれる作品が並んでいた。
■写真上:約130年前に造られた黒漆喰磨き仕上げの土蔵。1階がカフェ、2階が万華鏡ギャラリーになっている(流山市の流山本町大通り)
丸い筒を手に持って回しながらのぞくと、中の模様が様々に変化する、そんな万華鏡のイメージが一変した。丸筒型はあったが、外観がステンドグラスのようだったり、円形オブジェを使った置物だったり……。アクセサリーのペンダントもあって実に様々な作品だ。
■写真:長さ4.5㌢、直径1.5㌢のペンダント型プチ万華鏡。内部のガラス粒が様々な模様を描く
中里さんは都内の大手建設機械メーカーのOLだった。スキー部員として長野や群馬のスキー場に年50日通っているうち、自然とスキーウエアのデザイナーを志向するようになった。
3年勤めて退社し、2年制のデザイン学校に通った。卒業時にはアパレルメーカーの内定をもらったが、スキーウエアのデザインを諦め切れず、有名スポーツメーカーに片っ端から履歴書を送ってアピールした。幸運にも1社から採用連絡があり、20代半ばからデザイナーのアシスタントとして働き始めた。
■写真上:展示会場で大型万華鏡の仕組みを説明する中里さん
スキーウエアだけでなく、水着、テニスなどと幅が広がった。1993(平成5)年から始まったサッカーJリーグでサッカーユニホームの需要が激増し、参入するメーカーも多くなった。中里さんは外資系メーカーの新ブランド立ち上げにもかかわるなど、とにかく忙しい毎日だった。
■写真上:丸筒テレイドスコープ。屋外でのぞくと上部の球体レンズを通して景色が変化する
上司から売れる物を作れといったプレッシャーがかかる。40代になって仕事ばかりの毎日が続く中、ふと手にした新聞の夕刊に東京・渋谷にあったステンドグラスアートスクール生徒募集の広告が目に止まった。
「仕事まっしぐらで、全く趣味がなかった。やってみようと思った」
1996(平成8)年から様々な年齢の生徒が通う週3回のコースを選び、仕事の合間を縫って通った。ガラスに色付けしたり、影をつけたり。面白くて2年のコースを終えても仲間と残り、自分たちでフリーコースを作って続けた。
そこで教材だったアメリカ製のオイルワンド万華鏡と出合った。オイル入りの棒状容器(ワンド)に入ったガラス粒のオブジェクトが流れ動く様をワンド横に付けられたスコープでのぞく。
「変化のすごさ、光り輝いて花火のようですごいと思った。すぐにとりこになった」
別のカルチャースクールで立体造形を学び、万華鏡団体の人気ワークショップに参加して腕を磨いた。
■写真上:「MANDARA」。万華鏡本体と模様の変化を楽しむ円形曼荼羅模様オブジェクトの2セット。入れ替えが可能だという
「デザイナー20年の私の性格に合っていた。創意工夫、努力をすればするほど良い作品として返ってくる。手抜きしないよう自分を追い込んで作るしかない。悔しいけど、とても面白い」
万華鏡の生みの親は、スコットランドの科学者デヴィット・ブリュースター(1781―1868)で、1816(文化13)年、灯台の光を遠くまで届かせるための実験中に発見したとされる。
■写真:「REBORN=セノーテ=」。2011年の東日本大震災、2020年からのコロナ禍……セノーテ(泉)をイメージしたアクア色のガラスで生命の大切さを想い描いた
日本には3年後の1819(文政2)年に渡来し、豪商らの貴重なおもちゃだった。「桃色眼鏡」(ももいろめがね)とか「錦眼鏡」(にしきめがね)などと呼ばれたという。外国ではギリシャ語のKalos(美しい)、Eidos(形)、Scope(見る)を語源にしたKaleidoscope(カレイドスコープ)が一般的だ。
1980年代にアメリカで急速に発展した。万華鏡に魅せられた米国人女性が全米の作家にインタビューしたり、作品を観たりして一冊の本にまとめた。これを機に世界初の万華鏡展覧会が開かれ、それまで大量生産のおもちゃだったものが「万華鏡アート」として価値観を広げていった。
中里さんは2000(平成12)年の日本万華鏡大賞展に出品して初入選。2003(平成15)年には同展ヴィジアル賞を受賞し、副賞の賞金を手にしたことから同年を作家としてのスタート年としている。
■写真上:2007年アメリカでのコンベンションで最優秀作品賞の「秋草」
2005(平成17)年にあったアメリカ公募展での入選を皮切りに、同展入賞常連者となり、仙台や京都、高崎、名古屋などの美術館、ミュージアムで出展を続けた。2017(平成29)年5月には京都で国内初開催の万華鏡世界大会実行委員となり、大会を成功に導いた。
万華鏡はガラスと鏡、金属が紡ぐアート。流山の工房は大きな作業机が二つあり、ガラスに砂を吹き付けて削ったり、溶かしたりする装置を備え、壁には金属加工の金具が掛かる。まるで「ミニ町工場」のような雰囲気だ。
ここで月4回のワークショップに24人、月1回の京都で6人の「弟子」が通っている。
「いまだに技術やアイデアが私の中で進化している。作るのはもちろん楽しいが、最近は教えること、伝えていくことの楽しさのほうが勝ってきたかな。皆さんが楽しみながら作れる環境で、自分の持っているものを全部伝えていきたい」
■写真:丸筒万華鏡の制作に取り組む中里保子さん(流山市の工房)
2003年の万華鏡作家デビューから来年20周年を迎える。何をするか、企画を練り始めた。
■写真上:天地、左右に模様を織りなす万華鏡の内部(中里保子さん撮影)
(文・写真 Tokikazu)