「一人語り」の百寺巡り
朗読家熊澤南水さんの挑戦
――「晩げだば、しばれるはんで、ラムネとサイダっこ、枕元サ持ってきて置がながぁー」。突然、津軽弁が飛び出した。市川市在住の朗読家熊澤南水さん(80)が続けている「一人語り・百寺語り巡礼」の一幕。幼い頃に暮らした青森・西津軽での厳しい冬の生活の一端を津軽弁で語った時だ。
■写真上:舞台に上がって生い立ちから語り始めた熊澤南水さん
百寺巡りを目指す熊澤さんが10月1日、84か所目という柏市の長全寺で開いた一人語り。幼少期から今に至る半生を振り返る「現在(いま)を輝いて」、山本周五郎の小説集「日本婦道記」から「糸車」の2部構成だった。
熊澤さんは東京生まれ。戦後、6歳の頃に実業家だった父親が亡くなり、広い家屋敷が人手に渡るなどで、母と弟の3人で母の実家、西津軽の祖母宅で暮らし始めた。
冒頭の津軽弁は「現在を輝いて」の中身だ。「夜になると寒くなる、ラムネとサイダーを凍らせないよう、枕元に持ってきて置こう」という意味。
生活のため、母親が小さな雑貨店を始めたが、厳冬期に仕入れたラムネ、サイダーを凍らせて売り物にならなくした。失敗を繰り返すまいと、母親が熊澤さんらに頼んだというエピソードだ。
■写真:幼い頃の津軽での家族との暮らし、別れに話に及ぶと少し目が潤んだ
一家は村人の好奇の目に晒されたり、よそ者扱いされたりで、店ははやらなかった。学級費も払えない先の見えない暮らしの中、熊澤さんはいつしか幸せだった東京を思うようになった。
小学6年に上がる直前、タイミングよく東京の知人から養女にほしいとの話が舞い込んだ。「母と弟との暮らし、故郷を捨て、オラ東京サ行くだ」と一人上京した。
再び東京で暮らすようになったが、初登校した小学校で津軽なまりを笑われた。「近づくとズーズー弁が移るゾー」とからかわれ、友達ができなかった。悔しさから、それなら将来、言葉で生きていこうという「夢」が幼心に芽生えた。
「夢」が具体化したのは結婚し、娘5人の子育てが一段落、90歳を過ぎた姑を看取った後の40歳の時。カルチャーセンターに通って朗読を学んだ。
チャンスはまもなくやってきた。習い始めて1年たった1983(昭和58)年、樋口一葉が好きだったこともあって、その年に一葉記念館(東京都台東区)であった「一葉祭」の朗読会にピンチヒッターで招かれて出演した。そこで実力を認められ、以来、全国で公演をするようになった。
■写真上:会場には早くから大勢の聴衆が詰めかけ、ロビーに並んで開場を待った
長全寺での「一人語り」で司会を務めた宮﨑直子さんは20年間、熊澤さんの「追っかけ」をしてきたという。「間の取り方に綺麗な日本語の組み合わせ、一人三役、五役の役柄を声で表現することにいつの間にか吸い込まれた。一生懸命、ひたすらにコツコツ邁進されているのに元気をもらっている」
■写真上:「百寺語り巡礼」のあった長全寺会館・飛雲閣。右奥が本堂になっている
協力団体「NPO法人・流山ひろがる和」の金山美智子副代表も「7年ほど前、南水さんの一人語りを観て、一人の女性としての生き方に惚れた。日本語、方言……忘れかけている日本人に気付いてほしいし、遺していく価値を強く感じた」という。
日本髪に和服姿で舞台に上がり、凛としながらも、役柄や場面に合わせ豊かな表情になる。一冊の文学作品を熟読し、30~40分の語りにまとめ、台本を読まずに語り続ける。「朗読家」ではなく「語り部」のほうが似合うかも知れない。
「国際芸術文化賞」(1991年、日本文化復興会)、「下町人間庶民文化賞」(2011年、下町人間の会)、「芸術祭大衆芸能部門優秀賞」(2016年、文化庁)などの受賞歴が実力を物語る。
「一人語り」を始めて30年たった70歳の時。「人の縁に恵まれて続けてこられた」として、80歳までにお礼を兼ねてお寺百か所で奉納チャリティーの「一人語り」を思いついた。
東京・浅草の人気洋食店「ヨシカミ」の女将だったが、店を四女夫婦に任せて2010(平成22)年、自宅のある市川市の不動院から始めた。12歳で去った津軽でも60年経った年、太宰治の「津軽」などを披露した。「故郷を捨てたものとして行くのが怖かった。でも、親戚一同という花輪が届くなど温かく迎えてもらえた」という。
■写真:メリハリの利いたセリフ回しでストーリーテラーからヒロインなど一人で何役もこなした
「百寺語り」を始めた翌年に東日本大震災があり、ここ数年はコロナ禍もあって83か所でストップした。でも「南水さんを応援し、成就した時の喜びと幸福感を多くの方々と一緒に味わいたい」と「流山ひろがる和」の金山代表らが支援に動いた。
会員らが檀家でもある長全寺の武田泰道住職に相談したところ、二つ返事で会場を使う許しを得た。武田住職は「地域に開かれた寺院」として仏事のほか、併設の会館ホールを社会福祉支援活動などに開放している。
■写真:会場を提供した長全寺の武田泰道住職は「南水さんの『おかげさん』、スタッフの『おかげさん』、そしてなにより皆さんの『おかげさん』でよい集まりになりました」と話した
長全寺での第2部「糸車」は下級武士の娘、お高が乳飲み子だったころ、貧しさから養女に出される物語。19歳の時、養父に生みの父母と暮らすよう諭されるが、お高は「私の幸せはこの家で暮らすこと」と懇願し、叶えられる。
■写真上:語りのテーマに合わせ「糸車」を舞台に飾る演出もあった
「お高と似たような境遇なので、読んでは何度も泣きました。でも、お客様の前で泣くわけにはいかない。稽古を繰り返して乗り越えました」
熊澤さんの半生を聴いた客から「ご苦労されたんですね」といった感想がよくあるという。
■写真上:閉幕後、聴衆一人ひとりに挨拶して見送る熊澤さん
「苦労とは思っていない。一つずつ夢中で乗り越えなければ前に進めない、と思ってやってきた。私にあと何年残っているかわからないけど、天職と思って百寺まで語りを続ける」
熊澤さんの決意は固い。
■写真上:熊澤さんの熱演に惜しみない拍手が送られた
(文・写真 Tokikazu)