ミュージアムINFO

10月

     10月

熊澤南水の「百寺語り巡礼」

開 催 2022年10月1(土)
場 所 長全寺 柏市柏6-1-9
時 間 午後0時30分開場・同1時開演
主 催 「百寺語り巡礼」実行委員会
共 催 長全寺
協 力 NPO法人・流山ひろがる和
入場料 1000円(シャンティ国際ボランティア会のチャリティに参加)

光風会名誉会員
羽二生隆宏作陶展

開 催 2022年10月5日(水)~2022年10月10日(月)
場 所 柏市文化・交流複合施設「パレット柏・市民ギャラリー」
柏市柏1-7-1-301号 (DayOneタワー3階)
時 間 午前10時~午後7時
主 催 パレット柏
後 援 柏市教育委員会、我孫子市教育委員会、流山市教育委員会、流山市高齢者支援課、東日本ガス企画 大洞院ギャラリー運営委員会
入場料 無料

旧吉田家住宅歴史公園「春蘭展」

開 催 2022年10月7日(金)~同10 日(月)
場 所 旧吉田家住宅歴史公園・新蔵ギャラリー・柏市花野井974-1
時 間 9:30~16:30
主 催  旧吉田家住宅歴史公園
入場料 210円(入園料)

オキクルミフェス 2022   

開 催 2022年10月14日(金)~同16日(日)
場 所  割烹旅館 角松 我孫子市本町3-4-25
主 催  オキクルミ
入場料  一般1,000円、高校生以下500円、食事つき3,500円

「一人語り」の百寺巡り
朗読家熊澤南水さんの挑戦

 

――「晩げだば、しばれるはんで、ラムネとサイダっこ、枕元サ持ってきて置がながぁー」。突然、津軽弁が飛び出した。市川市在住の朗読家熊澤南水さん(80)が続けている「一人語り・百寺語り巡礼」の一幕。幼い頃に暮らした青森・西津軽での厳しい冬の生活の一端を津軽弁で語った時だ。

写真上:舞台に上がって生い立ちから語り始めた熊澤南水さん

 

 

 

百寺巡りを目指す熊澤さんが10月1日、84か所目という柏市の長全寺で開いた一人語り。幼少期から今に至る半生を振り返る「現在(いま)を輝いて」、山本周五郎の小説集「日本婦道記」から「糸車」の2部構成だった。

 

 

熊澤さんは東京生まれ。戦後、6歳の頃に実業家だった父親が亡くなり、広い家屋敷が人手に渡るなどで、母と弟の3人で母の実家、西津軽の祖母宅で暮らし始めた。

 

 

冒頭の津軽弁は「現在を輝いて」の中身だ。「夜になると寒くなる、ラムネとサイダーを凍らせないよう、枕元に持ってきて置こう」という意味。

 

 

生活のため、母親が小さな雑貨店を始めたが、厳冬期に仕入れたラムネ、サイダーを凍らせて売り物にならなくした。失敗を繰り返すまいと、母親が熊澤さんらに頼んだというエピソードだ。

 

 

写真:幼い頃の津軽での家族との暮らし、別れに話に及ぶと少し目が潤んだ

 

 

 

 

一家は村人の好奇の目に晒されたり、よそ者扱いされたりで、店ははやらなかった。学級費も払えない先の見えない暮らしの中、熊澤さんはいつしか幸せだった東京を思うようになった。

 

 

小学6年に上がる直前、タイミングよく東京の知人から養女にほしいとの話が舞い込んだ。「母と弟との暮らし、故郷を捨て、オラ東京サ行くだ」と一人上京した。

 

 

再び東京で暮らすようになったが、初登校した小学校で津軽なまりを笑われた。「近づくとズーズー弁が移るゾー」とからかわれ、友達ができなかった。悔しさから、それなら将来、言葉で生きていこうという「夢」が幼心に芽生えた。

 

 

「夢」が具体化したのは結婚し、娘5人の子育てが一段落、90歳を過ぎた姑を看取った後の40歳の時。カルチャーセンターに通って朗読を学んだ。

 

 

チャンスはまもなくやってきた。習い始めて1年たった1983(昭和58)年、樋口一葉が好きだったこともあって、その年に一葉記念館(東京都台東区)であった「一葉祭」の朗読会にピンチヒッターで招かれて出演した。そこで実力を認められ、以来、全国で公演をするようになった。

 

 

写真上:会場には早くから大勢の聴衆が詰めかけ、ロビーに並んで開場を待った

 

 

長全寺での「一人語り」で司会を務めた宮﨑直子さんは20年間、熊澤さんの「追っかけ」をしてきたという。「間の取り方に綺麗な日本語の組み合わせ、一人三役、五役の役柄を声で表現することにいつの間にか吸い込まれた。一生懸命、ひたすらにコツコツ邁進されているのに元気をもらっている」

 

 

写真上:「百寺語り巡礼」のあった長全寺会館・飛雲閣。右奥が本堂になっている

 

 

 

協力団体「NPO法人・流山ひろがる和」の金山美智子副代表も「7年ほど前、南水さんの一人語りを観て、一人の女性としての生き方に惚れた。日本語、方言……忘れかけている日本人に気付いてほしいし、遺していく価値を強く感じた」という。

 

 

日本髪に和服姿で舞台に上がり、凛としながらも、役柄や場面に合わせ豊かな表情になる。一冊の文学作品を熟読し、30~40分の語りにまとめ、台本を読まずに語り続ける。「朗読家」ではなく「語り部」のほうが似合うかも知れない。

 

 

「国際芸術文化賞」(1991年、日本文化復興会)、「下町人間庶民文化賞」(2011年、下町人間の会)、「芸術祭大衆芸能部門優秀賞」(2016年、文化庁)などの受賞歴が実力を物語る。

 

 

「一人語り」を始めて30年たった70歳の時。「人の縁に恵まれて続けてこられた」として、80歳までにお礼を兼ねてお寺百か所で奉納チャリティーの「一人語り」を思いついた。

 

東京・浅草の人気洋食店「ヨシカミ」の女将だったが、店を四女夫婦に任せて2010(平成22)年、自宅のある市川市の不動院から始めた。12歳で去った津軽でも60年経った年、太宰治の「津軽」などを披露した。「故郷を捨てたものとして行くのが怖かった。でも、親戚一同という花輪が届くなど温かく迎えてもらえた」という。

 

 

写真:メリハリの利いたセリフ回しでストーリーテラーからヒロインなど一人で何役もこなした

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「百寺語り」を始めた翌年に東日本大震災があり、ここ数年はコロナ禍もあって83か所でストップした。でも「南水さんを応援し、成就した時の喜びと幸福感を多くの方々と一緒に味わいたい」と「流山ひろがる和」の金山代表らが支援に動いた。

 

 

会員らが檀家でもある長全寺の武田泰道住職に相談したところ、二つ返事で会場を使う許しを得た。武田住職は「地域に開かれた寺院」として仏事のほか、併設の会館ホールを社会福祉支援活動などに開放している。

 

 

 

 

 

写真:会場を提供した長全寺の武田泰道住職は「南水さんの『おかげさん』、スタッフの『おかげさん』、そしてなにより皆さんの『おかげさん』でよい集まりになりました」と話した

 

 

 

長全寺での第2部「糸車」は下級武士の娘、お高が乳飲み子だったころ、貧しさから養女に出される物語。19歳の時、養父に生みの父母と暮らすよう諭されるが、お高は「私の幸せはこの家で暮らすこと」と懇願し、叶えられる。

 

 

写真上:語りのテーマに合わせ「糸車」を舞台に飾る演出もあった

 

 

 

「お高と似たような境遇なので、読んでは何度も泣きました。でも、お客様の前で泣くわけにはいかない。稽古を繰り返して乗り越えました」

 

 

熊澤さんの半生を聴いた客から「ご苦労されたんですね」といった感想がよくあるという。

 

 

写真上:閉幕後、聴衆一人ひとりに挨拶して見送る熊澤さん

 

 

 

「苦労とは思っていない。一つずつ夢中で乗り越えなければ前に進めない、と思ってやってきた。私にあと何年残っているかわからないけど、天職と思って百寺まで語りを続ける」

 

 

熊澤さんの決意は固い。

 

 

 

写真上:熊澤さんの熱演に惜しみない拍手が送られた

 

 

 

(文・写真 Tokikazu)

釉薬と焼きの妙技
多彩な作品生む羽二生陶芸

――色とりどりの皿、壺、花瓶、茶器に三次元の造形……。これだけ多彩な焼き物が一人の作家から生まれるものだろうか。10月5日から柏市文化・交流複合施設「パレット柏・市民ギャラリー」で開かれた流山市の陶芸家羽二生隆宏さん(84)の作品展だ。多才な作品130点が会場いっぱいに並んだ。

 

写真上:「陶芸作品の森」をイメージしてレイアウトされた会場

 

 

 

会場に貼り出された「開催にあたって」の挨拶文に「陶芸作品の森の散歩をお楽しみください」とあった。受付を終えた入場客を丸っこい五つの石が積みあがる鮮やかなブルーの「山頂のケルン」が出迎える。ここを入り口にして左回りが「散歩道」だ。

写真:「山頂のケルン」。雪の台座に上部の輪は雲のイメージという

 

 

順路に沿って進むと、大小さまざまな赤い壺、茶色の花器、白地に縞模様の置物、青磁の皿などが路傍を飾るように置かれていた。色といい、形といいバラエティーに富んでいて、陶芸家集団の合同展を見ているようだ。

 

 

 

 

 

 

羽二生さんによると、土は信楽(滋賀県)や美濃(岐阜県)から取り寄せている。長石や珪石、石灰石などを調合した釉薬と焼きの長短、強弱によって色味や光沢に変化が出るのだという。ろくろを挽いた球状から壺や皿などにすることが多いが「ろくろ挽きの作品づくりに限界を感じた」という。

 

 

写真上:「萌芽」

 

 

 

最近は粘土を手でこねて棒状にし、積み上げて形を作る「手びねり」の手法で形にする。それに独自調合の釉薬を使うことで色、形など多種多様な作品ができる。

 

 

写真上:「青い渦」

 

 

 

「ろくろを挽いた花器、壺は小さなものから特大のものまである。羽二生さんはろくろの『限界』というが、『極めた』と言ったほうがよいのではないか。それで手びねりの独自造形になった」。作品展をサポートする大洞院ギャラリー運営委員会の三坂俊明さん(75)が解説した。

 

 

三坂さんは今年4月、柏市花野井の大洞院ギャラリーで、プレ企画ともいえる羽二生さんの作品展を企画、開催して今回につないだ。

 

 

写真上:青系、紫系が醸す独特の色合いの青磁

 

 

 

羽二生さんは北海道出身。高校を出た後、札幌で冷凍技師の仕事を始めたが、なじめなかった。縁があって道立工業試験場野幌窯業分場(当時)の伝習生になり、指導者でもあった陶芸家小森忍さん(1889―1962)と出会う。陶磁器研究の第一人者で、道内の陶芸振興に尽力した人物。その作品に感銘を受けた。

 

 

写真上:羽二生さんが「青瓷」(青磁)と呼ぶお気に入りの作品。釉薬調合で生まれた独特のひびが模様を成す

 

 

 

陶芸の道に進む決意をし「地図で見たら北海道から近かった」という産地、栃木県益子町に行って修業を始めた。昔ながらの徒弟制度が残る土地柄で、厳しい住み込みの4年間だった。そして1000年以上の歴史がある「せともののまち」愛知県瀬戸市に移ってさらに4年間学んだ。

 

 

知人が柏市にいたこともあって1967(昭和42)年、南柏で窯を築いた。同じ北海道出身の日展評議員だった陶芸家山本正年さん(1912―1986)に師事して技を磨いた。

 

 

写真上:行燈のように中に灯りのある作品(左)、鋭角で作風ががらりと変わったものもあった(右)

 

 

 

山本さんは絵画・工芸の歴史ある美術団体「光風会」の役員を務めていたこともあって、羽二生さんに光風会展への出品を勧めた。

 

 

1988(昭和63)年以降、光風会展などで多数入賞、2000(平成12)年から光風展の審査員を務め、監事、常務理事を歴任。日本一の公募美術展とされる2014(平成26)年の改組新第1回日展で入選、以後、同展で入選を続けた。

 

 

2018(平成30)年から光風会名誉会員。千葉県美術会理事、流山市美術家協会副会長なども務める。

 

 

1982(昭和57)年、南柏から我孫子市江蔵地に窯を移した。ゆったり流れる利根川右岸の土手沿いにある陶房「羽二生窯」。広い敷地に制作・展示室、ガス窯、電気炉の棟が立ち並び、庭の草木の間に沢山の作品が置かれている。流山の自宅から毎日のように電車と自転車を使って通い、制作を続ける。

 

 

写真上:制作する羽二生隆宏さん/我孫子市の陶房

 

 

「作品をイメージし、こんな風にしたら面白いだろうと思って作る。これが最高だと思うわけだが、するとまた別な形、何か次のものを考えて作りたくなってしまう。その繰り返しかな」

 

 

修業した瀬戸を始め、越前、常滑など「日本六古窯」と呼ばれる古来の技術を継承する産地には、歴史や土地の風土に合った伝統の技がある。我孫子に窯を構える羽二生さんは、産地の「しがらみ」にとらわれない自由な発想があるようだ。

 

 

写真上:「昇華」「輪廻転生」などの作品群(左)、「蒼の記憶」(左手前)などと題された作品コーナー(右)

 

 

 

今度の作品展には同じ我孫子の陶房で作陶した次女みどりさんの作品も並んだ。大きな花器に花柄などが絵付けされている。親子の作風はまるで違うが、次世代が育っている様子もうかがえた。

 

 

写真上:羽二生さんの次女・みどりさんの作品。大きな作品に絵付けされているのが特徴だ

 

 

 

 

写真上:我孫子市の陶房の庭にさりげなく作品が置かれていた

 

みんなのミュージアム「羽二生隆宏作品展」はこちらから

 

 

(文・写真 Tokikazu)

花を愛で、葉を愛で
秋バラと「葉芸」の春蘭

 

――柏市にある千葉県立柏の葉公園の西洋庭園バラ園が見ごろになった。今秋は10月8日(土)に開園し、深紅に黄、白、ピンク、オレンジ……。カラフルな秋バラが競演するかのように咲き誇っている。

写真上:ショッキングピンクの「うらら」。秋の日差しに輝いて見えた

 

 

 

円形庭園の真ん中にあるツルバラドームを囲むように83種、1600株が植えられている。周辺の園路からも見られるよう、ドームに向かってやや低めにレイアウトされているようだ。

 

写真上:球形が特徴の「ホワイトコースター」(左)、「ニューアベマリア」(右)

 

 

 

ほとんどが四季咲きのため、花は春秋2回開く。園内のあちこちにバラ名の看板が設けられているが、平仮名だったり、片仮名だったり。ドームのツルバラは春咲きだけのため、残念ながら見られなかった。

 

 

写真上:「伊豆の踊子」。奥は春咲きのツルバラのアーチ(左)、青空に映える「ベルサイユのばら」(中)、白い花のふちがピンクの「プリンセスモナコ」(右)

 

 

 

園内の紅葉も少しずつ始まっている。バラ園は例年11月初めまで開園するため、もう少しで今年も秋バラと園内紅葉が一緒に楽しめそうだ。

 

 

 

晩秋というのに「春蘭展」も10月7日から開催すると聞いて、会場の柏市花野井にある旧吉田家住宅歴史公園に出かけた。築200年ともいわれる旧吉田家の長屋門をくぐって右手のギャラリーになっている新蔵に入った。

 

 

写真上:旧吉田家の長屋門をくぐった右側にある「新蔵」が春蘭展の会場だった(左)、長屋門に置かれた墨字の立て看板(右)

 

 

 

葉を伸ばしたシュンランの鉢植えが並んでいた。「もしかしたら可愛い花が観られるかも」との期待が見事に外れた。

 

 

 

一人で70鉢を展示し、会場にいた柏市の愛好家岡田助次さん(80)は「春に咲く花もいいが、秋は葉の模様や形、色を楽しむ『葉芸』の季節なんだ」と説明した。

 

 

写真上:丹精込めた70鉢を出品した岡田助次さん

 

 

 

シュンランは全国各地の山野に分布するラン科の多年草。長さ10~25㌢の茎の先に春になると直径5㌢前後の花をつける。地方によって「ホクロ」とか「ジジババ」と呼ばれることもあるという。

 

 

写真上:「葉芸」の作品を楽しむ入場者

 

 

 

地元で育った岡田さんは幼い頃、親戚が近くの里山から掘り出してきたシュンランの美しさ、自生の物は高価で取引されることを知って興味を持った。

 

 

 

製薬会社のサラリーマンの傍ら岩手県などで山歩きし、40年かけて集めた中から200鉢を育てているという。入場者らにシュンランの育て方や楽しみ方を語るのも好きで、積極的に話しかけていた。

 

 

写真上:岡田さんが「愁月」と名づけて愛でる岩手県産の春蘭(左)、来年3月に咲くという岡田さんの「愁月」/月間園芸JAPAN編「最新春蘭花図鑑」から(右)

 

 

 

「様々な『葉芸』から生まれる花もいいね。最近は葉を見ると春にどんな色の花を咲かすかわかるようになった。こうなるまで20年はかかったな」。やや自慢げだった。

 

 

 

来春、花が咲いたら都内での全国展示会に出品したり、旧田中家住宅に飾ったりするという。楽しみにしよう。

 

 

写真上:珍しいという栃木県産の白縞(左)、岩手県産の「羅紗」(右)

 

 

 

 

(文・写真 Tokikazu)

7人の作家が競演
老舗旅館でアート融合

 

――越前和紙に書道、彫刻に砂絵などの作家7人が、純和風の割烹旅館に作品を持ち寄った。我孫子市の「割烹旅館 角松」で10月14日から3日間、開催された「オキクルミフェス2022」。旧水戸街道・我孫子宿にあった旅籠を受け継ぐ「角松」の座敷、廊下をギャラリーに多彩な作品が出品された。

写真上:座敷の壁や座卓に飾られた森山卓さんの作品を眺める入場者

 

 

 

「オキクルミ」は地元の香取神社で清掃活動をしたり、イベントを企画したりの市民ボランティアグループ。毎月第1土曜に朝市、正月に初詣客を迎える行事などを続けている。

 

写真:「角松」の門前に貼り出された看板

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨年9月、「角松」で同市在住の書家河村詩夕さんの書展を開いて好評だった。今回は「オキクルミ」を主宰する秋元佐予さんが河村さんを始め、イベントなどを通じて知り合った作家に声を掛けて幅を広げた。

 

 

写真上:書家河村詩夕さんの衝立を使った書アート

 

 

 

河村さんと、同じく地元で活動する書家久保煌泉(こうせん)さん、手すき和紙の伝統工芸士長田和也さん=福井県越前市=、彫刻の中津川督章(よしふみ)さん=柏市=、糸かけ師・花笑(かえ)さん=本名・星真由美さん、茨城県ひたちなか市=、砂絵の長嶺克洋さん=沖縄県南城市=、写真の森山卓(たくみ)さん=沖縄県那覇市=が集まった。河村さん、久保さんの書道教室に通う小学生らの作品も出品された。

 

 

 

敷地を囲む白壁がある「角松」の門から入って、受付を通って玄関に上がると、さっそく河村さんの「書アート」が出迎えた。衝立2枚の升目模様に記号や文字、かるたの文言が描かれている。障子越しに外の光がやさしい廊下では河村さん、久保さんの教え子たちの習字が両側に貼られていた。

 

 

写真上:割烹旅館「角松」の門周辺は白壁造りで老舗の雰囲気が漂った

 

 

 

古木の松などがある庭に面する座敷の床の間に異なる二つの作品があった。河村さんと生前交流のあった柏市の写真家・故森かずおさんが撮った金剛力士像に河村さん揮毫したものと、手すき和紙の長田さんが空間に越前和紙を連ねたアートや小物が飾られていた。

 

 

写真上:床の間に飾られた長田和也さんの越前和紙アート

 

 

 

畳の上には彫刻の中津川さんによる木目が美しく、ふっくら丸みを帯びた椅子が置かれていた。奥の座敷には「朝、目覚めた時に自分の夢を支えてくれた枕の浅い凹みに興味を持った」(本人の「彫刻ゴミ制作記録」から)として制作した木製枕もあった。

 

 

写真上:中津川督章さんの木製の椅子(左)と枕(右)

 

 

 

沖縄から我孫子にやって来た砂絵の長嶺さんも座敷に作品を展示した。7、8年前、沖縄で共通の知人を通じて秋元さんと知り合ったのが縁だ。

 

 

写真上:砂絵を紹介する長嶺克洋さん

 

 

 

顔料やアクリル絵の具で着色した砂を百色以上用意している。色砂を塗りたい箇所に接着剤をつけて砂を振りかけ、くっついたら逆さにして余分な砂を落とす。絵柄、使いたい色によってこれを何度も繰り返して仕上げていく。

 

写真:長嶺克洋さんの砂絵「夕焼け 小焼け」

 

 

若い頃、南米を放浪した経験、沖縄という土地柄もあってか、ラテン系の鮮やかな色彩の作品が多い。決まった大きさはなく、思いつくままのサイズで作り、収める額も自作する。

 

「とても大切な場所に飾らせて頂いて光栄だし、いいのかなって思った」

 

 

 

 

糸かけ師・花笑さんは板に打ったピンに糸をかけて模様を描く「糸アート」大小25点を座敷に展示した。2年前、友人の作品を観て感動し、糸かけデザイン研究所(野田市)の講座などで学び、この10月に「免許皆伝」となった。

 

写真:糸かけアートの糸かけ師・花笑さん

 

 

 

「ピンとピンの間を糸で直線に結ぶ規則性と糸の色を選ぶ自由性、それに直線が少しずつずれて曲線に見えるもの楽しい」。依頼を受け、ワークショップや講座を開催する。

 

 

 

 

 

「背景の和紙、絹糸を使った和風の作品もあるので、会場と雰囲気が合う。何より座ったり、寝転んだりできる座敷で、立った目線から足元まで展示できたのがよかった」

 

 

写真:花笑さんの糸かけアート。直線が生み出す曲線の妙技

 

 

 

 

沖縄から参加したもう一人、写真の森山さんは「島好き、海好き、空好き、泡盛好き、沖縄大好きなウチナーンチュ(沖縄人)」(会場の自己紹介文から)。JTA日本トランスオーシャン航空の観光情報サイト「美ら島物語」の元編集長で、夜はカウンター6席のBAR「海岸通リ」のマスターだ。

 

 

沖縄に浮かぶ島々を巡る撮影は20年に及び、とびっきり碧い海や空、伝統的な民家などをテーマにした写真や絵はがきを壁と座卓に並べた。

 

 

写真上:森山卓さんの写真「琉球原風景・黒島」

 

 

 

座敷を出てちびっ子の習字がある廊下に戻る。二階に上がる手前のプチホールに久保さんの書が掲げられた。昨年の日本教育書道芸術院同人書作展(6月23日~7月4日、国立新美術館)で入賞した特大の書道用紙5曲(枚)に綴った唐詩だ。

 

 

写真上:廊下に飾られた書道を習う子どもたちの作品

 

 

 

久保さんは「長さが235㌢、幅3㌢もあって広いギャラリー用。『角松』のここがぴったりだ。飾ってもらってうれしい」と話していた。

 

 

写真上:書家久保煌泉さんが特大の書道用紙に書き綴った唐詩(左側の5枚)

 

 

 

3日間のイベントを訪れたのは食事つき、入場のみ合わせて約400人。食事は沢煮椀、銀杏とカニの茶碗蒸し、胡麻豆腐、サツマイモのレモン煮、ニシンの昆布巻き、西京焼、天ぷら……15品目という割烹旅館ならではのメニューだ。

 

 

来場者から「我孫子で沖縄のアートに触れられてとても新鮮だった」(我孫子市の女性)、「角松の部屋と作品がマッチし、心動かされた」(松戸市の女性)、「砂絵、糸アート、書アートに心魅かれた。機会を見てやってみたい」(茨城県取手市の女性)といった感想とともに「食事がおいしかった」との声が多かった。

 

 

「次回も見たい」「またやってほしい」との期待も多かった。残念ながら、今のところは「未定」(オキクルミの秋元さん)という。

 

 

(文・写真 Tokikazu)