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8月

     8月

川瀬巴水 初刷り木版画展

開 催 2022年7月30日(土)
~2022年8月14日(日)
場 所 ギャラリー・ヌーベル本店
柏市旭町4-7-1
Phone 04-7146-6800
時 間 午前10時~午後6時
    会期中は水曜定休

主 催 ギャラリー・ヌーベル
入 場 無料


復活 夏の風物詩
利根川花火、我孫子の平和式典

巴水の魅力を伝える
柏のギャラリー・ヌーベル

――大正から昭和にかけ、日本の原風景をモチーフにした木版画家で「最後の浮世絵師」といわれた川瀬巴水(1883—1957)の「初摺り木版画展」が7月30日から柏市の画廊「ギャラリー・ヌーベル」で開かれている。巴水に魅せられた画廊主鈴木昇さん(73)がコレクションした作品の展示会だ。

 

 

写真上:川瀬巴水展が開かれている「ギャラリー・ヌーベル」

 

 

 

「ギャラリー・ヌーベル」はJR柏駅西口から国道6号を渡った先にある。3階建てで各階に美術品が展示されている。巴水の作品は階段の脇や壁を含め、2~3階の各展示スペースいっぱいに飾られている。どこか懐かしい風景画のタッチが、アンティークな調度品の室内と相まって郷愁を感じさせている。

写真:巴水の作品がアンティークな調度品とマッチしていた(2階)

 

 

 

巴水が1930(昭和5)年に描いた「手賀沼」は、南岸の旧沼南町(柏市)側から対岸の我孫子市側を眺めた作品。緑のグラデーションを描く湖岸に日差しを受けた入道雲がピンクに染まり、小舟が浮かぶ湖面に写し込まれている。 

 

 

写真:鈴木さんが発掘した巴水の初摺り「手賀沼」(1930<昭和5> 年作)

 

 

巴水がなぜ我孫子に来たのか、詳しくはわからない。兄弟子で美人画の伊東深水(1898―1972)が、夏になると我孫子にある知人の別荘に遊びに来ていた。深水に声を掛けられて巴水も来たのでは、との見方もある。

 

 

「手賀沼」の一枚は、柏市内で亡くなった美術仲間の遺品から鈴木さんが見つけた。版元に確認したところ、生前の初摺りであることがわかった。木版画は通常200枚ほど摺られるが「手賀沼」は海外に流出したり、戦災で焼失したり。版木も焼けて残っておらず、かなり貴重なものだった。

 

 

写真上:白熱灯に照らされた作品(2階)(左)、作品は階段脇のスペースにも飾られた(3階)(右)

 

 

 

2005(平成17)年10月、ギャラリー・ヌーベルで、巴水の作品を集めた特別企画展を開催した。この会場で「手賀沼」をじっと見つめる女性がいた。鈴木さんが「巴水って知っていますか」と声を掛けると「実は、娘なんです……」。

 

 

巴水の養女、文子さんとの出会いだった。文子さんとの交流が始まり、鈴木さんの「巴水研究」が深まっていった。

 

 

写真上:調度品の上に並べられた作品(3階)

 

 

 

巴水は東京府芝区(東京都港区)の組み紐職人の家に生まれた。家業を継ぐが、幼い頃からの画家になる夢を断ち切れず、洋画、日本画を学び、最終的には美人画で知られる浮世絵師で日本画家の鏑木清方(1878―1972)に師事した。

 

 

兄弟子・深水に強い影響を受けて始めた木版画で栃木・塩原の風景三部作を発表して認められ、35歳でデビュー。日本画、洋画の技法も生かした風景版画で、絵師、彫師、摺師が分業する江戸時代の浮世絵制作を伝える「新版画」の代表作家の一人になった。

写真:川瀬巴水

 

 

 

 

 

日本各地を旅して地元の風景を情緒あふれる手法で描き「旅情詩人」「旅の版画家」などと呼ばれた。特に海外での評判が高く、葛飾北斎、歌川広重とともに名前の頭文字から日本の「3H」と称された。

 

 

巴水が残した作品は600点とも800点ともいわれる。ぞっこんの鈴木さんは生前の初摺り、死後の後刷り合わせて150~160点を収集した。2010(平成22)年以降、版元の協力を得て柏、我孫子両市や全国各地での巴水展を企画し、巴水の魅力を伝え続けている。2019(令和元)年6月にはあびこ市民プラザ(我孫子市)で2回目の企画展を開いた。2019年6月の企画展のページはこちらから

 

 

「手賀沼」には我孫子市側に入道雲が描かれているが、実際は旧沼南町側に出ていたものを創作したものだという。「巴水は忠実に写生するのではなく、省略したり、デフォルメしたりで、絵になる風景にしている。それが面白いところで、創作があって初めて芸術になる」と鈴木さん。

 

 

「10代の若い人が観ても感じないかもしれないが『わび・さび』がわかってくる、ある程度の年頃になると、巴水の絵に哀愁を感じるようになる。絵から湧き出るものが自分の人生と重なり合う作品が多い」

 

 

鈴木さんは巴水らの新版画を全国の美術館、博物館などと協力して紹介していこうという「国際新版画協会」(I.S.A)、美術・芸術作品展示を企画する「手賀沼アート・ウォーク実行委員会」の各会長。

 

 

写真上:作品を紹介するギャラリスト鈴木昇さん(3階)

 

 

 

川に学ぼうという国土交通省所管のNPO法人「川に遊ぶ体験活動協議会」(RAC=本部・東京)の理事を務めている。RAC理事は、墨田川、江戸川など都内だけで30か所、全国で270~280か所の川、かつての護岸を描いた巴水の「研究者」として招かれた。

 

 

「巴水の一番好きなところ? んー、導かれるように巴水に会って、縁ができた。相性みたいなものかなぁー。絵を食べ物に例えると、巴水の絵は後味がよくって、また食べたくなる。そんなようなものだ」

 

 

作品はもとより、娘の文子さんとの親交などを通じ「人間巴水」にも精通する鈴木さんは今、「巴水物語」と名づけた本を執筆中だ。巴水をテーマにした番組制作を計画しているNHKに頼まれたという。

 

 

どんな番組になるのだろう。原作の上梓を楽しみにしよう。

 

 

 

写真上:「開け行く富士」(1942<昭和17>年作)

 

 

 

写真上:「The Miyajima Shrine in Snow」(1935<昭和10>年作)

 

 

 

写真上:「清洲橋」(1931<昭和6>年作)

 

 

 

写真:「鎌倉大佛」(1930<昭和5>年作)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真:「潮来の夏」(1945<昭和20>年頃作

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※個別作品、川瀬巴水の写真はギャラリー・ヌーベル提供

 

(文・写真 Tokikazu)

花火に歓声、平和の祈り
利根川花火、我孫子の平和式典

――東京都心の最高気温が8月16日に36.4度となり、年間猛暑日(35度以上)が16日という新記録になったそうだ。夏の終わりに昼は暑くても夜になると涼しくなり、虫も泣き出して秋の気配が漂う「夜の秋」という俳句の季語がある。夏の季語だそうだが、8月も半ばを過ぎた今夏は名ばかりのようだ。夜になっても一向に涼味が増さない。

写真:利根川両岸の見物人を魅了した色とりどりの大輪の華=我孫子市側から撮影

 

 

 

月遅れお盆の8月14日、茨城県取手市の利根川河川敷で「第67回とりで利根川大花火」があった。観覧席への入場制限、時間短縮などのコロナ感染対策をし、3年ぶりの開催だ。約7000発が打ち上げられ、夏の夜空を焦がした。

写真:利根川両岸の見物人を魅了した色とりどりの大輪の華=我孫子市側から撮影

 

 

 

対岸の我孫子市側の利根川土手にも、夕方から浴衣姿になった大勢の家族連れがシートを敷いて陣取った。鮮やかな夕焼けが消えた頃、連続花火のスターマインや天高く上がり、大音響とともに炸裂する色とりどりの大輪の華に歓声を上げた。

 

 

手賀沼花火大会が2020(令和2)年からコロナ禍で中止が続いているだけに、我孫子市民にとって、いつもの夏のように心に残るひと時になったに違いない。

写真上:夕闇迫る土手に陣取って花火を待つ見物人

 

 

 

77回目の終戦記念日に先立つ8月13日、我孫子市で「被爆77周年平和祈念式典」(我孫子市原爆被爆者の会・我孫子市共催)が営まれた。同市は1985(昭和60)年12月、核兵器廃絶と恒久平和を求める「平和都市宣言」をした。

 

 

以来、毎夏、平和事業として平和祈念式典と中学生に戦争や原爆の恐ろしさを知ってもらう被爆地への派遣を続けている。式典は手賀沼湖畔に建立された広島平和記念公園の原爆慰霊碑がモデルの「平和の記念碑」前が会場だが、当日は台風8号の接近で隣接する同市生涯学習センター「アビスタ」に変更された。

写真上:手賀沼のほとりにある平和記念碑。広島平和記念公園の原爆慰霊碑を模したアーチ型になっている

 

 

 

被爆者の会会員や平和を祈る市民ら70人が参加した。「主役」は市内6中学校から2人ずつ選ばれ、広島記念式典などに派遣された中学生12人。8月5日から2泊3日の日程で広島の平和記念資料館を見学したり、被爆体験者の話を聞いたりした。

 

写真上:広島に派遣された中学生らが見聞きし、感じたことを平和祈念式典で報告した=アビスタ

 

 

 

黙祷で始まった祈念式典は代表者による献花、千羽鶴の奉納と続いた。その後、派遣中学生の団長を務めた同市立白山中学校2年、田中千尋さん(14)らが壇上に上がって派遣報告をした。

写真上:たくさんの折り鶴や手作り灯籠も飾られた原爆写真パネル・平和祈念の折り鶴展会場=アビスタ

 

 

 

田中さんは「原爆の写真や絵を見て背筋がぞっとした。想像以上だった。被爆体験者は体だけでなく、心にも大きな傷を受けている。核兵器がなくならなければ平和に近づけない。平和の大切さを伝えてきたい」と話し、会場の拍手を浴びた。

 

 

 

田中さんの話を聞いていた被爆者の会の的山ケイ子会長(76)は長崎での胎内被曝者で、終戦翌月に生まれた。「平和のことが頭から離れない。自分の力は微力だが、どうやって平和の大切さを伝えていくか……」

 

 

式後、手賀沼に流す予定だった中学生らによる41の灯籠は「アビスタ」1階中央通路で開催中の「原爆写真パネル・平和祈念の折り鶴展」会場に8月25日まで展示されている。

写真:中学生らが作った灯籠のメッセージは「平和」「笑顔」のキーワードが目立った=アビスタ

 

 

 

写真上:中学生や一般市民が平和を祈って手賀沼に初めて灯籠を流した=2019(令和元)年8月18日撮影

 

 

(文・写真 Tokikazu)