巴水の魅力を伝える
柏のギャラリー・ヌーベル
――大正から昭和にかけ、日本の原風景をモチーフにした木版画家で「最後の浮世絵師」といわれた川瀬巴水(1883—1957)の「初摺り木版画展」が7月30日から柏市の画廊「ギャラリー・ヌーベル」で開かれている。巴水に魅せられた画廊主鈴木昇さん(73)がコレクションした作品の展示会だ。
■写真上:川瀬巴水展が開かれている「ギャラリー・ヌーベル」
「ギャラリー・ヌーベル」はJR柏駅西口から国道6号を渡った先にある。3階建てで各階に美術品が展示されている。巴水の作品は階段の脇や壁を含め、2~3階の各展示スペースいっぱいに飾られている。どこか懐かしい風景画のタッチが、アンティークな調度品の室内と相まって郷愁を感じさせている。
■写真:巴水の作品がアンティークな調度品とマッチしていた(2階)
巴水が1930(昭和5)年に描いた「手賀沼」は、南岸の旧沼南町(柏市)側から対岸の我孫子市側を眺めた作品。緑のグラデーションを描く湖岸に日差しを受けた入道雲がピンクに染まり、小舟が浮かぶ湖面に写し込まれている。
■写真:鈴木さんが発掘した巴水の初摺り「手賀沼」(1930<昭和5> 年作)
巴水がなぜ我孫子に来たのか、詳しくはわからない。兄弟子で美人画の伊東深水(1898―1972)が、夏になると我孫子にある知人の別荘に遊びに来ていた。深水に声を掛けられて巴水も来たのでは、との見方もある。
「手賀沼」の一枚は、柏市内で亡くなった美術仲間の遺品から鈴木さんが見つけた。版元に確認したところ、生前の初摺りであることがわかった。木版画は通常200枚ほど摺られるが「手賀沼」は海外に流出したり、戦災で焼失したり。版木も焼けて残っておらず、かなり貴重なものだった。
■写真上:白熱灯に照らされた作品(2階)(左)、作品は階段脇のスペースにも飾られた(3階)(右)
2005(平成17)年10月、ギャラリー・ヌーベルで、巴水の作品を集めた特別企画展を開催した。この会場で「手賀沼」をじっと見つめる女性がいた。鈴木さんが「巴水って知っていますか」と声を掛けると「実は、娘なんです……」。
巴水の養女、文子さんとの出会いだった。文子さんとの交流が始まり、鈴木さんの「巴水研究」が深まっていった。
■写真上:調度品の上に並べられた作品(3階)
巴水は東京府芝区(東京都港区)の組み紐職人の家に生まれた。家業を継ぐが、幼い頃からの画家になる夢を断ち切れず、洋画、日本画を学び、最終的には美人画で知られる浮世絵師で日本画家の鏑木清方(1878―1972)に師事した。
兄弟子・深水に強い影響を受けて始めた木版画で栃木・塩原の風景三部作を発表して認められ、35歳でデビュー。日本画、洋画の技法も生かした風景版画で、絵師、彫師、摺師が分業する江戸時代の浮世絵制作を伝える「新版画」の代表作家の一人になった。
■写真:川瀬巴水
日本各地を旅して地元の風景を情緒あふれる手法で描き「旅情詩人」「旅の版画家」などと呼ばれた。特に海外での評判が高く、葛飾北斎、歌川広重とともに名前の頭文字から日本の「3H」と称された。
巴水が残した作品は600点とも800点ともいわれる。ぞっこんの鈴木さんは生前の初摺り、死後の後刷り合わせて150~160点を収集した。2010(平成22)年以降、版元の協力を得て柏、我孫子両市や全国各地での巴水展を企画し、巴水の魅力を伝え続けている。2019(令和元)年6月にはあびこ市民プラザ(我孫子市)で2回目の企画展を開いた。●2019年6月の企画展のページはこちらから
「手賀沼」には我孫子市側に入道雲が描かれているが、実際は旧沼南町側に出ていたものを創作したものだという。「巴水は忠実に写生するのではなく、省略したり、デフォルメしたりで、絵になる風景にしている。それが面白いところで、創作があって初めて芸術になる」と鈴木さん。
「10代の若い人が観ても感じないかもしれないが『わび・さび』がわかってくる、ある程度の年頃になると、巴水の絵に哀愁を感じるようになる。絵から湧き出るものが自分の人生と重なり合う作品が多い」
鈴木さんは巴水らの新版画を全国の美術館、博物館などと協力して紹介していこうという「国際新版画協会」(I.S.A)、美術・芸術作品展示を企画する「手賀沼アート・ウォーク実行委員会」の各会長。
■写真上:作品を紹介するギャラリスト鈴木昇さん(3階)
川に学ぼうという国土交通省所管のNPO法人「川に遊ぶ体験活動協議会」(RAC=本部・東京)の理事を務めている。RAC理事は、墨田川、江戸川など都内だけで30か所、全国で270~280か所の川、かつての護岸を描いた巴水の「研究者」として招かれた。
「巴水の一番好きなところ? んー、導かれるように巴水に会って、縁ができた。相性みたいなものかなぁー。絵を食べ物に例えると、巴水の絵は後味がよくって、また食べたくなる。そんなようなものだ」
作品はもとより、娘の文子さんとの親交などを通じ「人間巴水」にも精通する鈴木さんは今、「巴水物語」と名づけた本を執筆中だ。巴水をテーマにした番組制作を計画しているNHKに頼まれたという。
どんな番組になるのだろう。原作の上梓を楽しみにしよう。
■写真上:「開け行く富士」(1942<昭和17>年作)
■写真上:「The Miyajima Shrine in Snow」(1935<昭和10>年作)
■写真上:「清洲橋」(1931<昭和6>年作)
■写真:「鎌倉大佛」(1930<昭和5>年作)
■写真:「潮来の夏」(1945<昭和20>年頃作
※個別作品、川瀬巴水の写真はギャラリー・ヌーベル提供
(文・写真 Tokikazu)