仲間48人と「競演」
山田きんしんグループ展
――我孫子市で大工をしながら絵を描き続けている山田きんしん(本名・金信)さん主宰の「第13回山田きんしんと仲間たち展」が7月21日から同市の「あびこ市民プラザギャラリー&ホール」で開かれた。山田さんが指導する七つの絵画教室に通う仲間48人との合同作品展だ。
■写真上:大勢の入場者でにぎわった会場
■写真上:会場への通路にあった2種類の案内板
会場はギャラリー(130平方㍍)と多目的ホール(260平方㍍)を合わせた展示スペース。水彩画や不透明水彩(グアッシュ)を使った作品を中心に170点が飾られた。
■写真上:立ち止まってじっくり作品を味わう
風景、人物、静物をモチーフにしたり、山田さんが得意とする心象画だったり。豊富な題材に加え、F1号の小品から100号を超える大作までぎっしり。大勢の入場客でにぎわった。
■写真上:佐藤満(水彩アートクラブK)の「銚子・犬吠埼海岸」を鑑賞する入場者
グループの一つ「木曜教室 金木星」は夜8時から山田さんのアトリエ代わりの会社事務所に集まって、絵を習っている。
山田さんは「昼に絵を教える先生はたくさんいるが、勤めが終った夜に習いたい人もいるでしょう。自分は大工なので、夜しか時間がないこともあって、夜の教室を始めた」という。
同市民文化講座で水彩画教室の講師を務めるようになった。1年間のコース終了後、受講者らが山田さんを囲んでグループを立ち上げるなどでグループが増えた。
■写真上:グループを指導する山田きんしんさん(前列右)と仲間たち
「金木星」のほか、「ウエンズ水彩会」「きん彩会」「水美会」「水彩アートクラブK」「金河塾」「子供クラス」がある。山田さんの名前にちなんだグループ名が多く、曜日、時間を替えて開かれている。公共施設で活動するグループもあるが、大半は山田さんの会社事務所を拠点とする。
グループごとにまとまって作品を展示した。それぞれのコーナーにグループ紹介パネルが置かれた。メンバーの写真や似顔絵などと一緒に活動内容が記されている。「ナンバーワンより、オンリーワン」(水彩アートクラブK)といったスローガンも盛り込まれていた。
山田さんは東京都美術館が本拠の絵画団体「蒼樹会」の常任委員(審査委員)で、我孫子市美術家協会会長を務める。中学を卒業後、家業の大工をしながら絵を描き始め、月2回の休みに道具を自転車に積んでスケッチに出かけた。誰について習うではなく、所属した絵画グループや先輩にアドバイスしてもらって腕を磨いた。
■写真上:「ウェディングベル」 山田きんしん
そんな若いころの経験もあって、身近に絵を習う場づくりとして夜の教室を始めたのかもしれない。
「子供クラス」に通う、ともに中学1年の男女二人は油絵各2点を出品した。ピンクを基調にクリクリっとした目が印象的な少女を描いた木島涼音さんの「めがみきじさま」は、額まで色付けしていた。
■写真上:「めがみきじさま」 木島涼音(子供クラス)
齊藤空良さんの「海の歌舞伎役者」は「ニモ」(?)のようなオレンジ、黒の縞模様の魚が見得を切っているように見えた。
■写真上:「海の歌舞伎役者」 齊藤空良(子供クラス)
そろってこの春から油絵を習い始めたばかりというが、なかなかどうして個性的な作風だ。「二人ともすごいでしょう」と山田さん。
「仲間たち展」は2年に1回のペースで続けていたが、コロナ禍で2020、21年は開催できなかった。今回は昨年1月に次いで1年半ぶりとなる。
大勢の絵の仲間に囲まれている山田さんは「自分で体験した感じでは、絵は観る人だけでなく、自分だけでも楽しめる世界。いつもまでも絵を『友達』のように長く付き合えるよう、指導していきたい」と話した。
■写真上:「黄色いバラ咲く家」 永井惠子(ウェンズ水彩会)
■写真上:「男舞」 関和子(ウェンズ水彩会)
■写真上:「板のふくろう」 鎌田和雄(きん彩会)
■写真上:「存在理由」 青木惠美子(水美会)
■写真上:「蘇るノスタルジー」 茨木育代(水美会)
■写真上:「紫陽花の頃」 辻薫(水彩アートクラブK)
■写真上:「百花」 山川寿子(金河塾)
■写真上:「白馬」 里見信治(金河塾)
■写真上:「雪化粧」 佐々木美津子(金木星)
(文・写真 佐々木和彦)
思い募る「柏ねぶた」
フィナーレにファン結集
――「29年間ありがとう」。7月29、30両日、4年ぶりに復活した柏まつりの呼び物「柏ねぶた」に大書きのメッセージが掲げられた。まつりは復活したが、「柏ねぶた」は管理費などの運行経費がかさみ、今夏が最後だという。
■写真上:最後の出陣となった「柏ねぶた」
夕方、JR柏駅南口の線路沿いに二基のねぶたが陣取った。「ドン、ドドンド、ドーン」と腹に響く太鼓、「ピュ―、ピュッ」と歯切れ良い横笛、「チャリン、チャリン」とリズミカルな手振り鉦。賑やかなお囃子を先頭に特設ステージがある西口ロータリーに向けて出陣した。
ロータリーの地上と三階に当たる駅のデッキで大勢の観客が待ち構える。ねぶたが入場すると、観客から大きな拍手が沸き上がった。花笠をかぶり、浴衣に長いたすきをかけた跳人(はねと)が「ラッセラー、ラッセラー」の掛け声とともに飛び跳ね、景気づけた。
■写真上:ねぶたの前で飛び跳ねる「跳人」(左)、花笠に豆絞り、浴衣にたすきは「跳人」の正装
「柏ねぶた」は柏市と同名の青森・津軽の柏村(現つがる市)との交流から生まれた。1994(平成6)年に柏まつりの単発のイベントとして、本場・青森から運行、お囃子、跳人を招いて「平将門」のねぶたが練り歩いた。
「29年間」というのは、この年が起源。初陣で自由参加の「市民跳人」が大勢集まり、市民のねぶた熱もかなり高まった。お囃子や跳人を楽しむ市民グループも誕生した。
■写真上:柏駅西口ロータリーを埋めたねぶたファン(左)、集まったファンが一斉に跳人になった
柏住民らの「青森ねぶたファンクラブ」(加納正一会長、30人)もその一つ。跳人にはまった世話役でもある植木職人岡野宣正さん(73)は東京・神田生まれで根っからのまつり好き。妻の絵津子さん(74)は津軽出身だ。夫婦はお囃子を習って太鼓、笛、鉦をこなし、今では同クラブの指導役だ。
■写真上:囃子グループの老若男女が途切れることなく交代で太鼓を打ち鳴らした
同クラブのようにグループの囃子連が生まれ、青森のねぶた師に本場より小さい柏専用のねぶたを製作してもらった。西口の商店街と市民が協力して1997(平成9)年から毎夏の柏まつりで運行してきた。
2020(令和2)年からのコロナ禍で柏まつり、ねぶた運行が中止になった。「みなさま! おまたせしました」(柏まつりのスローガン)と再開した今回が最後になろうとは……。
ねぶたは紙を使った物だけに雨に弱いが、運行両日は晴天に恵まれた。最終日の30日夕、ねぶた陣取る西口ロータリーが見物人であふれた。特設ステージでMCを務めた岡野さんらの指導でねぶた囃子に合わせ、子どもから大人の群衆が跳人になって大いに盛り上がった。
■写真上:最後の雄姿をカメラに収める見物客(左)、展示場所になった西口の商店街。見物客は名残り尽きない様子だった
二基のねぶたはロータリーから国道6号手前のザ・クレストホテル柏前に静かに移動。見物人もついて歩き、別れを惜しむようにねぶたを囲んで記念写真を撮った。
お囃子が始まる。いろんな囃子グループが交代で太鼓を打ち、笛を吹き、鉦を鳴らす。その中に並んで太鼓たたく岡野さん夫婦の姿があった。
岡野さんのクラブは両日、跳人衣装のメンバーがねぶた存続を求める署名活動を展開した。2千人近くから協力を得たという。
29年も続いた「柏ねぶた」。本場・青森より一足早い運行で、人気があるのに止めてしまうのは惜しい気がした。
■写真上:4年ぶりの柏まつりとあってJR柏駅東口(右)、西口(左)両商店街は大賑わいだった
■写真上:太鼓のリズムに誘われるように広がった夜の輪おどり(左)、軒を並べた屋台が人気。列が途切れることがなかった
(文・写真 佐々木和彦)