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10月

     10月

式場隆三郎展 見えない世界の美しさに心をよせて

開 催 2023年7月15日(土)~10月9日(月祝)=前期
    10月17日(火)~2024年1月14日(日)=後期
場 所 我孫子市白樺文学館 我孫子市緑2-11-8
    ☏04-7185-2192
時 間 9時30分~16時30分(入館は16時まで)
休 館 月曜日(月曜が祝日の場合は翌日)
主 催 我孫子市、我孫子市教育委員会、日本点字図書館、式場病院
後 援 日本民藝館、日本民藝協会
入場料 一般300円、高校・大学生200円、中学生以下無料 3館(鳥の博物館、杉村楚人冠記念館との)共通券一般500円、高校・大学生400円


シュルレアリズムの世界
遠藤裕金工展

開 催 2023年10月4日(水)~同10日(火)
場 所 パレット柏・市民ギャラリー     柏市柏1-7-1-301号 (Day Oneタワー3階)
時 間 10時~19時
主 催 柏市文化・交流複合施設「パレット柏」
後 援 柏市教育委員会
企 画 大洞院ギャラリー運営委員会
入 場 無料


秋空に似合うコスモス   

取材日 2023年10月16日(月) 場 所 松戸市江戸川河川敷     柏市あけぼの山農業公園

 

死んでたまるか、何か遺さねば
現(いま)やりたい事・できる事 90代、80代、70代、50代、若者、何を語る

開 催 2023年10月24日(火)
場 所 アミュゼ柏・クリスタルホール
    柏市柏6-2-22
    ☏04-7185-2192
時 間 13時30分~16時30分(17時閉場)
主 催 アート・ウオークかしわ
協 力 (株)清水メガネ、ギャラリーヌーベル、アイネットエージェンシー(株)、Select
参加費 999円(全席自由)

我孫子ゆかりの式場隆三郎展
医療・文化・芸術の足跡をたどる

 

写真上:展示室入り口に張り出されているポスター

 

 

 

1920(大正9)年秋、我孫子の手賀沼湖畔に住む思想家柳宗悦(1889~1961)を新潟の医学生が訪れた。民藝(民衆的工藝)運動などの手ほどきを受けに来た若き日の式場隆三郎(1898~1965)だった。

 

 

手賀沼湖畔の我孫子市白樺文学館で、柳に師事し、精神科医にして文化・芸術分野で活動した式場の足跡をたどる「式場隆三郎展―見えない世界の美しさに心をよせて」(前期)が開かれた。柳の妻兼子愛用のピアノがある1階、らせん階段を昇った2階の各展示室で写真や書籍、パネルを使った式場の活動が紹介された。

 

 

写真上:団体客でにぎわう2階の大展示室

 

 

 

新潟県五泉町(現・五泉市)生まれの式場は幼い頃から文学に興味を持った。進学した旧制村松中学校(現・新潟県立村松高校)、新潟医学専門学校(現・新潟大学医学部)で文芸雑誌を次々と編集した。

 

 

写真上:白樺文学館入り口にある佐治正大さんの彫刻「自帰依」(じきえ)(左)、柳宗悦の妻兼子のピアノがある1階中展示室から企画展が始まる

 

 

 

柳や武者小路実篤(1885~1976)らの雑誌「白樺」の影響を受け、のちに「民藝のプロデューサー」を自認した同級生の耳鼻咽喉科医吉田璋也(1898~1972)らとともに文化団体「アダム社」や文芸雑誌「アダム」をつくった。

 

 

写真上:展示品を説明する式場病院学術研究部の山田真理子さん

 

 

 

武者小路の「新しき村」に共感し「新しき村新潟支部」を設立し、1920(大正9)年9月、武者小路を新潟に招いて講演会を開いた。この縁もあって式場は吉田らとともに我孫子の柳を訪ねたのだ。

 

 

柳が唱える民藝は庶民が生み出す生活に忠実な工芸品で、利益ではなく使う人の心、助け合って共に生きる人を思う品々だ。式場も「正しい工芸は人間の心から生まれたもの。それに触れるには心の眼を開かねばならない」と語る。

 

 

日常生活で家具や器の焼き物など各地の民藝に囲まれていた式場は「月刊民藝」(1941年9月号)にこんな記述を残している。「患者に薬を飲ませたり、注射をしたりも仕事の一部だが、複雑な精神生活はそういうものでは救われない。生活全般の建て直しをしなければならぬ。民藝運動が人間を健康にする」

 

 

写真上:1939(昭和14)年に完成した式場隆三郎邸。建築には柳宗悦、濱田庄司ら民藝仲間がかかわった(左)、焼き物などの民藝品であふれる式場邸の居間

 

 

 

柳らの民藝運動とともに「微笑む仏像」の「木喰仏」(もくじきぶつ)を制作した江戸時代後期の僧侶・木喰上人(1817~1810)の研究にも参加し「木喰仏」から己の生き方も見出した。

 

 

「白樺」を読んでオランダの画家ゴッホ(1853~1890)に興味を持った。1929(昭和4)年、31歳の時に渡欧し、ゴッホ関係者に会ったり、資料を集めたり。3年後に「ファン・ホッホの生涯と精神病」(上下巻)を上梓するなど、ゴッホ関連の著作や訳本を数多く世に送り出した。

 

 

写真上:式場がデザインしたゴッホ浴衣「自画像」(左)、自宅で民藝を愛でる式場(昭和30年代)

 

 

 

静岡県内の病院長を務めた後、1936(昭和11)年、柳ゆかりの我孫子周辺で土地を探し、最終的には市川市で国府台病院(現・式場病院)を開設した。同じ頃に社会福祉施設「八幡学園」の顧問医となって「放浪の画家」山下清(1922~1971)と出会う。

 

 

写真上:式場隆三郎編「月刊民藝」(1939<昭和14>年~1946<昭和21>年)(左)、ゴッホ研究に関する著作。題字を柳宗悦、装填を型絵染の芹沢銈介が担当した

 

 

 

東京・浅草生まれの山下は、幼い頃の高熱の後遺症から言葉がどもるようになった。学校でからかわれたり、いじめられたりしたことから、12歳の時に「八幡学園」に移った。

 

 

式場は学園が採り入れた「ちぎり絵」(貼り絵)で頭角を現した山下の才能を高くした。陶磁器やペン画、テキスタイルデザインへの取り組みも指導し、山下作品を雑誌や画集で取り上げ、全国展覧会なども企画して、広く世間に紹介した。

 

 

 

式場の盟友、吉田は「彼(式場)の生涯で一番よかったのは、山下清を発見し、彼とその絵を世に紹介したことだ」と語っている。

 

 

写真上:式場が才能を見出した山下清の作品コーナー(左)、絵皿は式場の発案で取り組んだという

 

 

民藝運動、木喰仏やゴッホ研究、そして山下清のサポート……。多岐な活動を展開した式場展を企画・監修した式場病院学術研究部の山田真理子さんは「ゴッホも山下清も式場がリスペクトと愛を寄せた人物。解説書を出し、展覧会を開くなどで私たちの手の届くものにすることで彼らの心を共有しようとしたのでしょう」と解説。

 

 

「式場は人を大事にし、のびのびと生活や仕事を楽しんだ人。『式場先生~』と皆から慕われ、一言でいうと『民藝品』のような人でしょうか」と付け加えた。

 

 

10月17日からは日本点字図書館支援など盲人福祉への情熱を中心にした後期展示が始まる。

 

 

 

(文・写真 佐々木和彦)

金属工芸続け50年
広がる不思議な世界

 

――「よくまぁー、こんなに作ったものだ」。数日かけて運び込んだ銅板オブジェに囲まれ、柏市の金属工芸家遠藤裕さん(68)が話した。柏市のパレット柏・市民ギャラリーで10月4日から始まった「シュルレアリズムの世界 遠藤裕金工展」会場。異なる種類の昆虫同士、昆虫と楽器、動物と楽器の合体……。遠藤さんの作品は不思議な空間を創り出した。

写真:作品展のポスター(左)、「独裁」(中央)などの作品が並ぶ会場

 

 

 

ギャラリーの三方の壁際には銅板をたたいたり、しぼったりして形作った40点が置かれた。高さ1㍍を超える大物もある。「今回は照明を工夫した」(企画スタッフ)とあって、スポットライトを浴びたオブジェの影が壁に映る。

 

写真:壁掛けレリーフなど作品は幅広い

 

 

 

 

 

 

写真上:動物と楽器など様々な組み合わせが不思議な「エンドウワールド」を醸し出す

 

 

 

遠藤さんがもう一つ取り組む銀線細工。繊細な唐草模様(アラベスク)のペンダントなどのアクセサリー類も受付脇の展示スペースで光を受けて輝いていた。

 

 

写真上:唐草模様をあしらった銀線細工のペンダント

 

 

 

オブジェの中でオオツノヒツジがモデルの「羝羊」(ていよう)、扇状に広げる前の羽を束ねたクジャクの「遥かに」の2点は初期の作品で自然主義的だ。

 

 

写真上:「羝羊」(左)、「遥かに」

 

 

 

スペイン出身でシュルレアリズムの代表的作家サルバドール・ダリ(1904~1989)の影響を受け、作風ががらりと変わる。

 

 

狭い鉢から飛び出した金魚が大空に向かって大きく口を開き、水鳥の足で大地を蹴って飛んでいく様を描いた「解放された時」。シュルレアリズムの始まりだった。鳴くニワトリとトランペットを合わせた「夜明けの歌」、カブトムシの頭とバイオリンの胴体で虫の音をイメージした「夏の夜の夢Ⅱ」。

 

 

さらにカブトムシ、カマキリ、チョウ、デンデンムシが合体した「独裁」、カブトムシにクワガタ、サソリ、カマキリが一体となった「破壊」……とアップデートしていく。

 

 

写真上:「解放された時」(左)、「破壊」

 

 

 

福島県三春町出身。秋田県出身で体操の五輪メダリスト遠藤幸雄(1937~2009)への憧れから隣の郡山市にある日本大学東北高校に進学して体操を始めた。しかし、幼い頃、右手人差し指の先をけがで失ったせいで平行棒がうまく出来ず、やむなく退部。代って入った美術部で東京藝術大学美術学部出身の顧問と出会い、運命が決まった。

 

 

写真上:お気に入りの「夜明けの歌」(左)と「夏の夜の夢Ⅱ」に囲まれた遠藤裕、理恵子夫妻

 

 

 

油絵の手ほどきを受け、高校生ながら個展を開くまでになった。油絵もさることながらデザイン力を見抜いていた顧問の勧めで1975(昭和50)年、同大学美術学部工芸科に入った。

 

 

鍛金を学び、銅板オブジェ制作を目指す。大学では課題を出し、ガスバーナーの使い方など基本技術は教えるが、具体的な作り方は教えてくれなかった。

 

 

朝7時、1人で大学のシャッターを開け、工房、機械の掃除をしてバーナー、コンプレッサーを準備する。銅板をカンカンとたたいたり、削ったりして制作を続けた。時々、先輩たちの技術を盗むようにしては技を磨いた。

 

 

3年生の時、優秀作品に各科1人だけに与えられる「原田賞」を受賞した。力量を認めた同大学講師だった宝飾・彫金家酒井公男氏の目に止まり銀線細工の手ほどきを受けた。

 

 

翌年、美術学部全体の卒業制作で銅板オブジェが最優秀賞「サロン・ド・プランタン賞」を受賞。1980(昭和55)年に同大大学院を終了後、千葉県展、日展、日工会展で次々と入選。母校の高校などで教鞭を執りながら2004(平成16)年以降、郷里の三春町を始め、郡山、柏、東京・日本橋などで個展を開催した。

 

 

「何も作品が思い浮かばなくなった時もある。そんな時、昔作ったものをもっといい物にしようと作り直してみる。銅をたたいているうちに次の作品のイメージがわいてくる」

 

 

写真上:銀製食器の「森の晩餐会」(左)と「海賊の晩餐会」

 

 

 

銀線細工は装飾品としてデパートなどから需要がある。江戸時代からの工芸品で、直系0・3㍉前後の銀線を手作業で曲げたり、よりをかけたりする根気のいる作業。「銅板オブジェとの違い? 大きいか、小さいかだけかなぁー」

 

 

柏市豊四季の旧国道6号沿いに「VENROSE彫金工房」を構え、習いに来る男女の指導に力を入れる。

 

 

「歳だし、大物を作るのは難しいかもしれないけど、気の利いた、しゃれた物を作っていきたい」

 

 

写真上:ひょうたんを擬人化した「喜怒哀楽」

 

 

 

(文・写真 佐々木和彦)

秋空にコスモス
所によって異変も?

 

――暑かった夏も去り、10月に入って朝晩めっきり涼しくなった。秋を代表するコスモスの花便りも、あちらこちらから聞かれる。

写真上:秋のやさしい日差しを受けて青空に映える(松戸市江戸川河川敷)

 

 

 

松戸市民が市と協働して江戸川河川敷を季節の花園にした「江戸川松戸フラワーライン」を訪ねた。上葛飾橋下流でコスモスが川と並行に複数列植えられ、赤やピンク、白の花が咲き始めていた。

 

 

つぼみのままのものが多く、まだまだこれからって感じだ。7月の種まき後、日照り続きで雨が少なく、記録的だった9月の残暑の影響で開花が遅れているらしい。

 

 

写真上:カラフルな花が秋風に揺れる(いずれも松戸市江戸川河川敷)

 

 

 

上葛飾橋を挟んで上流にあるパークゴルフコース脇のコスモスは、青空の下で満開となり、ゆっくりと秋風に揺れていた。品種の違いや場所、種まきの時期、天候によって開花がまちまちなのだろう。

 

 

コスモス名所の柏市あけぼの山農業公園の風車前も満開だった。一面を見下ろすミニ展望台や「ドラえもん」の「どこでもドア」のようなオブジェが設けられ、いつものように見学者の撮影ポイントになっていた。

 

 

写真上:オレンジ色が目立った今年の花畑(柏市あけぼの山農業公園)

 

 

 

カラフルなコスモス畑だが、今年は特にオレンジ系が目立つような気がした。管理事務所に聞いてみると、花色ミックスのブランド種を8月中旬に植えたが「今年はオレンジ色が多かったのかもしれません」とのことだった。

 

 

数件、同じような問い合わせがあったという。コスモスに季節の変化や秋の訪れを実感し、優雅な美しさに癒されるファンは多い。

 

 

 

(文・写真 佐々木和彦)

手賀沼に集い、学ぼう
多世代パネル討論で提唱

 

――「死んでたまるか、何か遺さねば」。奇抜なタイトルのパネルディスカッション(パネル討論)が10月24日、柏市のアミュゼ柏・クリスタルホールで開かれた。「現(いま)、やりたい事、出来る事 90代、80代、70代、50代、若者、何を語る」のサブテーマがついていた。

写真:世代の違う6人のパネラーが集まった

 

 

 

文化イベントを企画し、実行する「アート・ウォークかしわ」代表鈴木昇さん(74)が呼びかけ人。鈴木さんは「最後の浮世絵師」と呼ばれる川瀬巴水(1883-1957)を研究する。つい最近、「川瀬巴水と私物語」という本を上梓した。

 

 

写真上:コーディネーター鈴木昇さん(アート・ウオークかしわ代表、ギャラリーヌーベル代表)柏市在住(左)、パネルディスカッションのチラシ

 

 

 

巴水が1930(昭和5)年に描いた「手賀沼」を発掘し、その美しさに魅了された一人でもある。

 

 

写真上:舞台に飾られた川瀬巴水の木版画「手賀沼」(昭和5年作、ギャラリーヌーベル所属)

 

 

 

その手賀沼は長い間、全国湖沼の汚染ワースト1とされ、最近やや改善されたものの水質浄化は依然課題だ。巴水が描いた手賀沼のように再生し、共生を目指して集い、誰もが先生、生徒として教え、学び合う市民講座「手賀沼大学」計画を温めている。

 

 

今春、体調を崩して救急車で病院に運ばれ、入院した。幸い無事に退院したが、入院中、半生を振り返った。このままでいいのか、生きている間に何か遺さなくていいのか。自問自答を繰り返し、今回のパネル討論を思い立った。

 

 

写真上:参加者に配られた木版画家大野隆司さんと鈴木昇さんのコラボ版画

 

 

 

パネラーは柏在住45年で培った人脈から選ばれた。元文化放送アナウンサー西村喜美江さん(86)=流山市=、歴史研究家青木更吉さん(90)=同=、ドイツで長く暮らした日本語教師石川恵美子さん(77)=同=、元千葉大学学長古在豊樹さん(80)=柏市=、内閣官房国土強靭化推進室参事官堂薗俊多さん(56)=東京都=、日本大学大学院理工学研究科の今龍平さん(23)=松戸市。

 

 

写真上:元文化放送アナウンサー西村喜美江さん(流山市在住)(左)、歴史研究家の青木更吉さん(流山市)(中央)、日本語教師の石川恵美子さん(流山市)

 

 

 

 

 

写真上:千葉大学元学長(現名誉教授)の古在豊樹さん(柏市)(左)、内閣官房国土強靭化推進室参事官の堂薗俊多さん(東京都)(中央)、日本大学大学院理工学研究科の今龍平さん(松戸市)

 

 

 

コーディネーターの鈴木さんは基調講演の中で「手賀沼は出会いの場で宝でもある。生かすか殺すかは住民意識の問題だが、そのために手賀沼を知ることが大切。きょうで結論が出るものではないが、皆さんの心に残るものがあればよいと思う」との想いを語った。

 

 

「水問題」「手賀沼の活用」「手賀沼大学」がパネル討論のテーマになった。「利根川の放水路を歩く」という本を出した青木さんは手賀沼の水質改善について①利根川の水を手賀沼に流す「北千葉導水事業」②下水道の普及③住民運動による浄化意識の高まり――が混ざり合って作用した、と分析した。

 

 

西村・元アナウンサーは他県から流山に転居し、手賀沼を知ったとして「今後も手賀沼を見守っていきたい」と語った。

 

 

古在・元千葉大学長は「大雨、洪水を引き起こしているのはCO₂(二酸化炭素)による異常気象が原因。コメ1㌔作るのに2㌔のCO₂が必要といわれる。日常的にCO₂を出してきた我々世代に責任があり、若者世代が被害を受けている。改善が求められる中での水問題、手賀沼問題だ」と指摘した。

 

 

石川さんは「手賀沼の水質は一時期よりワースト度が高まってきた。気づいたところから少しでも関心を持って解決に向けた運動にかかわり、手助けになるようなことをしたい」と述べた。

 

 

自然災害の事前対策のため、5年に一度改訂する国土強靭化基本計画をまとめた堂薗・内閣参事官は「水問題に関してもしっかり取り組む内容を盛り込んでいる。手賀沼大学を応援する身として開校すれば、もちろん生徒として伺うが、先生になれば、私のネタはこれになる」と話した。

 

 

河川研究をしている今・大学院生は「現場見学で地域住民の声が河川改善につながっているのを見てきた。水環境をよくするため、住民が声を上げることが重要だ。手賀沼大学で地域を大事にして災害時には助け合うコミュニティーづくりもできればと思う」と話した。

 

 

パネル討論は午後1時30分、松戸市出身の噺家、むかし家今松の落語「らくだ」で幕を開けた。3時間余、鈴木さんが「手賀沼で集う場、話す場が手賀沼大学構想。手賀沼で出会って何に気づき、どう生きるか、みんなと一緒に考えたい。地域の市民団体は高齢化が進み、後継者不足になっている。少しでも若い人が入ってこられる環境もつくろう」と呼びかけ、午後5時前に閉幕した。

 

 

写真上:パネル討論はむかし家今松さんの落語「らくだ」で始まった

 

 

 

(文・写真 佐々木和彦)