ミュージアムINFO

1月

     1月

爆笑 星の座

野田市市民活動支援センター登録団体
代 表 星野進
連絡先 野田市桜の里
    3-7-18
電 話  090-5206-0806
活動目的 手づくり衣装、お面、小道具を使い、笑えることの大切さを伝える


長縄えい子作品展

日 程 2023年1月12日(木)~同22日(日)
場 所 花井山 大洞院ギャラリー
    柏市花野井1757
主 催 大洞院ギャラリー運 営委員会
入場料 無料

最強寒波でも早春の息吹

取材日 2023年1月25日(水)
場 所 柏市(旧沼南町含む)
    我孫子市

手づくりのお笑い
野田の「爆笑 星の座」

 

――お寺の境内でおめでたい七福神が初詣客を出迎えた。正月の1月2日午後、柏市花野井の大洞院。野田市のお笑い演劇団体「爆笑 星の座」(星野進座長)が、にぎやかにユーモラスな舞台で初笑いを誘った。

 

写真上:本堂前に結集した七福神。初詣客ににぎやかな踊りを披露した

 

 

青空に恵まれ、新春の陽光が降り注ぐ本堂前でカン、カン、カンと拍子木が響いた。「めでたや~、めでたや~、獅子の舞~」の呼び込みが終わると、笛、鉦、太鼓の囃子に合わせて二匹の獅子が登場した。

 

 

写真上:二匹の獅子が登場し、お囃子にあわせて舞う

 

 

 

頭と体を左右に揺らし、大きな口を開け閉めしながら舞い、客席に入って愛嬌をふりまいた。かみついてもらおうと、頭を差し出す客もいた。かみつかれると「邪気を食べてもらえる」とも「神が付く」ともいわれる。親子で観ていたちびっ子の中には「いやだ―」「怖いー」と泣き出したり、逃げ出したりの一幕もあった。

 

 

舞の終盤に獅子が突然、鬼に変身し、何処からともなく現れた赤狐、白狐、三匹の道化と合流し、客席を回る。二匹の狐が手からクモの糸を放ってフィナーレとなった。

 

写真:獅子の口を開けてのぞき込むちびっ子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お面と頭巾をかぶって大黒天に扮し、右手に打ち出の小槌、左手に扇を持った二人組の「大黒の舞」となった。その後、座員が七福神に衣装替えする時間を使って、茨城県つくばみらい市から来た川崎清一さん、くみさん夫婦のデュオ「音の旅人くみ∞せい」のプチライブ。

 

 

写真上:右手に小槌、左手に扇を持った二人一組の「大黒の舞」

 

 

 

くみさんが奏でる森のオカリナという木製の「樹音」(じゅね)、清一さんのギターで「一月一日」「大きな古時計」などの郷愁あふれる澄んだ音色が会場に響いた。

 

 

写真上:幕間にあった夫婦デュオ「音の旅人くみ∞せい」のプチライブ

 

 

 

圧巻は七福神踊りと全座員の俵積み唄。ドドドンドン、ドドドンドンの太鼓に乗って「恵比寿天」を先頭に「大黒天」「布袋尊」「福禄寿」「毘沙門天」「弁財天」「寿老人」が姿を見せた。

 

 

写真上:舞台に「出陣」する七福神

 

 

 

全員で踊った後、それぞれ一人ずつ呼び上げられた名前に合わせてソロダンスを披露した。曲は神奈川県内にある温泉ホテルが宿泊客サービスに作った「七福神踊り」が音源。利用許可を得てオリジナルの振付をした。最後にまた全員で踊り、前列に集合し「ワッハッハッハー」「ワッハッハッハー」「ワッハッハッハー」と大笑いして終わった。

 

 

写真上:演技が終わり、満面の笑みで知り合いに手を振る座員

 

 

 

俵積み唄は「ハァ、春の始めに この家の旦那様 七福神のお供して 俵積みに参りた」で始まる青森県南部民謡の踊り。かつてお家繁盛を祈る門付の芸だったらしい。座員全員が総出で踊ってフィナーレを盛り上げた。

 

 

獅子から鬼、そして大黒天を演じた星野座長は大槌を置き、面を取ると汗だくになっていた。「きょうの出来は8割ぐらいかな。七福神の一人が風邪ひいて休んでしまって、1回しか練習していない座員が急遽、代役を務めたからね……。演技がもう一つだった」

 

 

 

たった1回の練習で本番に臨んだ座員がいた? 観る側からは全く気付かなかった。

 

 

写真上:囃子方も「正装」で本堂前に陣取った(左)、初詣客に愛嬌をふりまくサービスも欠かさない(右)

 

 

 

一座は2017(平成29)年8月に旗揚げした。野田市の登録団体紹介コーナーや一座のチラシに活動目的は「笑えることの大切さを伝える事」とある。それには深い訳があった。

 

 

一昨年9月、70歳で病死した星野さんの妻、亮子さんが、生前、軽い脳梗塞を患った際の後遺症からか、顔がこわばってうまく笑えなくなった時期があった。

 

 

回復しつつある中で、笑えないことを寂しく思うようになった。そんなある日、夢の中に毘沙門天が出てきたという。「毘沙門天が出てきたってことは七福神をやれってことかしら」と思うようになった。

 

 

かつて会社勤めをしていた亮子さんは、歓送迎会や忘年会などを取り仕切る「宴会部長」だったという。特に余興の出し物を考え、衣装やかつらを作ったり、メイクを担当したり、演出したりするほどだった。

 

 

「笑うことで生きる楽しさ、元気を取り戻してもらえるような活動がしたい」と思い立ち、星野さんの尻を叩き、カラオケ仲間らを誘って一座を立ち上げた。星野さんが会長、亮子さんが座長を務め、面や小道具は星野さん、衣装は亮子さんがそれぞれ手作りした。

 

 

色んな音源を探してもらい、二人で振付を考えた。今の座員は60~70代の12人。高齢なので難しいものは避け、覚えやすいよう工夫したという。

 

 

レパートリーは「巫女と神主」「鬼のパンツ」「長生き音頭」「花咲かじい」などに大洞院での出し物を加えて13ある。すべて面を付けてのコミカルな演技で、観客を舞台に招き入れての参加型もある。1演目2分から7分。30分公演が多いので、3~4演目組み合わせているという。

 

 

夫婦二人三脚の活動で老人施設や病院、野外イベントなど近隣や東京都内も含め年に60もの公演依頼が舞い込んでいたが、コロナ禍後はほとんどない状態が続いた。

 

 

そんな中で体調を崩し、床に臥す亮子さんは亡くなるまで一座の存続を望んでいた。その遺志を継ぐように月1回の稽古は欠かさずに続けた。昨年からぽつりぽつりと依頼が来るようになった。大洞院と同じ日の午前、流山市のお寺でも公演した。

 

 

星野さんは「観た人が笑ってくれて、喜んでくれるのが何よりだね。やっぱりやっていてよかったと思っている」と話した。

 

 

野田市にある星野さんの自宅リビングに二つの絵が飾ってある。一つは20代の頃、描いた父親からもらった七福神、もう一つは亮子さんが描いた油絵100号の獅子舞。七福神の絵はもらったことすら忘れ、永く箪笥の奥にしまっていていたものだ。

 

 

写真上:亡き妻の亮子さんの遺影と油絵の前で「爆笑 星の座」を語る星野進座長(野田市の自宅)

 

 

二つのモチーフは今や一座の主要な出し物。星野さんは二つの絵を眺めながら不思議な縁を感じている

 

 

 

(文・写真 佐々木和彦)

数多くの足跡遺す
故長縄えい子さんの画業

――油絵に水彩、アクリル、版画、絵本、ポスター、エッセー……。多彩な創作活動を続けていた柏市の画家、長縄えい子さんが、1月6日夜に起きた交通事故で亡くなった。85歳だった。

 

 

写真上:長縄さんのお通夜から始まった作品展。大勢が詰めかけた

 

 

 

ゆかりのある市内のお寺「花井山 大洞院」で1月12日、お通夜が営まれ、併設の大洞院ギャラリーでは追悼の作品展が始まった。大勢の弔問客が作品を鑑賞し、在りし日の長縄さんを偲んだ。

 

写真:作品展会場入り口に貼り出されたポスター

 

受付脇から入るギャラリー入り口に「長縄えい子作品展」の貼り紙と絵描き仲間が描いた長縄さんの肖像画が飾られた。着物姿の女性らが楽しそうに踊る「祭シリーズ」、表情が妖しい「化粧する闇シリーズ」「今昔物語 幻想シリーズ」の油絵などが展示された。100号2作品を組んだ「遊びをせんとや生まれけむ」などの代表作もあった。

 

 

 

 

 

写真上:「今昔物語 幻想Ⅰ」

 

 

 

絵だけではない。長縄さんが表紙や挿絵を担当した「めるへん文庫」「東葛流山研究」「新利根川図誌」「佐倉牧を歩く」など郷土の書物も並んだ。

 

 

写真上:「祭 Ⅲ」などを見学する弔問客

 

 

 

スリランカの子どもたちに津波の恐ろしさを伝え、逃れる方法を像の親子で描いた「TSUNAMI」(つなみ)、「くつしたかして」などの絵本、描きかけのスケッチブック、着物を着てすまし顔の写真アルバムなどが紹介された。

 

 

写真上:「お座敷へ」

 

 

 

地元から頼まれればどんなに忙しくても断れない性格だった。地元商店街のガイドブック、周年記念誌、イベントのポスター、チラシ、プログラム、カレンダーなど数多く手掛けた作品も並んだ。

 

 

自作エッセー集「続続続 老婆は一日にして成らず」(たけしま出版、2020年)の中に「私の人生はろう石から」がある。東京・深川生まれの長縄さんは幼い頃、自宅前のアスファルト道路にしていたろう石(石筆)のいたずら描きの思い出を綴っている。

 

 

幼いころから絵が好きだったようだ。父親のいとこだった日本画家の川崎小虎(1886―1977)の所によく遊びに行っていたというから、影響を受けたのかも知れない。

 

 

高校時代は美術部員で3年生の時に初めて展覧会に出品した。自宅の仏壇にあった百日草がモチーフだった。卒業後、伯父が経営する業界新聞でイラストを描くなどした。

 

 

写真上:100号2枚組の大作「遊びをせんとや生まれけむ」(梁塵秘抄より)

 

 

 

絵を本格的に始めたのは30代。子育てをしながら長沢節(1917―1999)が主宰したセツ・モードセミナーに通い始めてからだ。ここで4年間、版画以外の色んな画材を使った絵を学んだという。

 

 

写真上:「祭 Ⅱ」

 

 

 

都内から柏に転居し、1975(昭和50)年から市内の「いしど画材」で子どもたちに絵を教え始めた。ずっと続けており、教え子は1千人を超え、美術大学に進んでプロの画家になったり、デザイナーになったりの人材もいる。

 

 

写真上:「化粧する闇 Ⅰ」

 

 

 

「絵を描いているときが最も幸せ」が口癖だった。画材、テーマを問わず制作を続けた。色彩や作風が変わっても、男女を問わない子どもから大人の表情に人間愛、やさしさがにじみ出る。

 

 

1987(昭和62)年から東京・銀座、京橋を始め、米・ニューヨーク、カンボジア・プノンペン、スリランカ・コロンボなど国内外での個展を展開した。

 

 

大洞院でも絵筆を振るった。墓地東側に観音様のような女性と戯れる子どもたちの姿を描いた長さ37㍍の壁画がある。2004(平成16)年から半年かけて制作し「遊戯(ゆげ)」と名づけられた。 

 

 

写真上:大洞院の墓地にある壁画「遊戯」(左)、彩色をした2016(平成28)年建立の毘沙門天像

 

 

 

2019(令和1)年にはお釈迦様の誕生から入滅(死)までの生涯であった八つの大きな出来事を8枚組の「釈迦八相図」として奉納した。壁画「遊戯」の原画とともに本堂に飾られている。

 

 

写真上:本堂南側に掛けられた壁画「遊戯」の原画(左)、本堂西の欄間に納められた「釈迦八相図」の一部(右)

 

 

 

1月12日のお通夜、同13日の葬儀には絵描き仲間やお弟子さんら大勢の弔問客が参列。祭壇でほほ笑む長縄さんの遺影に手を合わせ、お焼香した。

 

 

写真上:大勢の弔問客が焼香に訪れたお通夜

 

 

 

筆者は2020(令和2)年8月、柏市文化交流複合施設「パレット柏」での作品展「長縄えい子の画業」でお会いした。多くの作品に囲まれ「今はねー、漢字に魅了を感じているのよ。日本を見直す作品を描いてみたいわ」と少女のような悪戯っぽい笑顔を見せた。

 

 

写真上:「長縄えい子の画業」展の長縄さん(2020年8月、柏市のパレット柏市民ギャラリー)

 

 

 

大洞院での追悼展は1月22日で終わるが、大洞院に行けば、いつでも長縄さんの作品に「逢う」ことができる。

 

 

当ミュージアムの「長縄えい子作品展」はこちらから 

 

(文・写真 佐々木和彦)

最強寒波が来襲
ひっそり息づく早春の花々

――1月20日の「大寒」が過ぎた日本列島は、同24日夜から25日朝にかけて10年に一度という今冬最強の寒波に見舞われた。各地の高速道路や鉄路で車や列車が立ち往生するなどの交通トラブルが発生した。「春まだ遠し」の感じだが、どっこいロウバイは満開となり、早春の草花が息吹き始めている。

 

 

写真上:満開になったロウバイは道路脇(左、我孫子市)や、民家の庭先(右、柏市)でやさしい日差しを受けていた

 

 

 

1月25日、各地の最低気温は軒並みマイナス気温となった。県内でも今冬最低となる千葉-1.4度(平年比3.5度低い)、銚子-3.1度(同5.8度低い)、我孫子-3.7度(2.2度低い)、木更津-2.2度(同3.7度低い)だった。この中で館山が午後6時まで0.1度と平年より1.1度低かったが、それでも全国唯一プラスの気温だった。

 

 

最強寒波が襲った同25日、柏、我孫子両市に車を走らせた。この時期に顔を出す早春の花々が気になったからだ。季節を迎えるといつも見かける場所を数か所回った。

 

 

田んぼが広がる柏市高柳の畔道で、紫の小さなオオイヌノフグリが花をつけているのを見つけた。北風を避けるような日当たりのよい南側の小さな斜面。1輪、2輪が冷たい風に震えるようにしながらもしっかり咲いていた。

 

 

写真上:陽だまりの田んぼの畔や畑で顔を出したオオイヌノフグリ(左)とホトケノザ(柏市)

 

 

 

手賀沼南岸に近い柏市箕輪の畑脇では、仏様が座る台座のような葉からピンクの花を出すホトケノザもしっかり開花していた。近くで4~5月に咲く桜に似たシバザクラも白やピンクの花を見せた。

 

 

写真上:ピンクや白の花を咲かせたシバザクラ(柏市)

 

 

 

手賀沼周辺の民家の庭先に植えられている黄色のロウバイが満開になって道路にはみ出していた。ほんのり甘酸っぱい香りを漂わせ、日差しを受けて輝くようでもあった。

 

 

 

柏市のあけぼの山農業公園の梅林では、早咲きの紅白の梅がほころび始め、早くも五分咲きのようだった。シンボルの風車前の花畑ではカラフルなビオラが放射状に植えられていた。

 

 

写真上:柏市のあけぼの山農業公園では紅梅、白梅が春の訪れを告げるように咲き誇る

 

 

 

毎年、晩秋にモミジの見事な紅葉名所で知られる柏市逆井の観音寺。山門周辺のあちらこちらに植えられた、赤い小さな実をたくさんつけたマンリョウが艶やかだった。

 

 

写真上:境内の散策路でマンリョウの真っ赤な実が際立った(柏市の観音寺)

 

 

 

我孫子市の高台にある公園のシデコブシは、ネコヤナギの花穂のような花芽を膨らませている。柏市にあった早咲きサクラのカワヅザクラの芽は硬そうだった。

 

 

写真上:寒風に揺れるシデコブシの花芽が綿帽子のようだった(我孫子市の高野山桃山公園)

 

 

 

今冬は東太平洋赤道付近の海面水温が低いラニーニャ現象の影響で、西高東低の気圧配置が強まり、寒くなるといわれていた。それでも日脚も伸び、春隣を感じる日もそう遠くない気がした。

 

 

写真上:早咲きで知られるカワヅザクラの芽はまだ硬かった(柏市)

 

 

(文・写真 佐々木和彦)