手づくりのお笑い
野田の「爆笑 星の座」
――お寺の境内でおめでたい七福神が初詣客を出迎えた。正月の1月2日午後、柏市花野井の大洞院。野田市のお笑い演劇団体「爆笑 星の座」(星野進座長)が、にぎやかにユーモラスな舞台で初笑いを誘った。
■写真上:本堂前に結集した七福神。初詣客ににぎやかな踊りを披露した
青空に恵まれ、新春の陽光が降り注ぐ本堂前でカン、カン、カンと拍子木が響いた。「めでたや~、めでたや~、獅子の舞~」の呼び込みが終わると、笛、鉦、太鼓の囃子に合わせて二匹の獅子が登場した。
■写真上:二匹の獅子が登場し、お囃子にあわせて舞う
頭と体を左右に揺らし、大きな口を開け閉めしながら舞い、客席に入って愛嬌をふりまいた。かみついてもらおうと、頭を差し出す客もいた。かみつかれると「邪気を食べてもらえる」とも「神が付く」ともいわれる。親子で観ていたちびっ子の中には「いやだ―」「怖いー」と泣き出したり、逃げ出したりの一幕もあった。
舞の終盤に獅子が突然、鬼に変身し、何処からともなく現れた赤狐、白狐、三匹の道化と合流し、客席を回る。二匹の狐が手からクモの糸を放ってフィナーレとなった。
■写真:獅子の口を開けてのぞき込むちびっ子
お面と頭巾をかぶって大黒天に扮し、右手に打ち出の小槌、左手に扇を持った二人組の「大黒の舞」となった。その後、座員が七福神に衣装替えする時間を使って、茨城県つくばみらい市から来た川崎清一さん、くみさん夫婦のデュオ「音の旅人くみ∞せい」のプチライブ。
■写真上:右手に小槌、左手に扇を持った二人一組の「大黒の舞」
くみさんが奏でる森のオカリナという木製の「樹音」(じゅね)、清一さんのギターで「一月一日」「大きな古時計」などの郷愁あふれる澄んだ音色が会場に響いた。
■写真上:幕間にあった夫婦デュオ「音の旅人くみ∞せい」のプチライブ
圧巻は七福神踊りと全座員の俵積み唄。ドドドンドン、ドドドンドンの太鼓に乗って「恵比寿天」を先頭に「大黒天」「布袋尊」「福禄寿」「毘沙門天」「弁財天」「寿老人」が姿を見せた。
■写真上:舞台に「出陣」する七福神
全員で踊った後、それぞれ一人ずつ呼び上げられた名前に合わせてソロダンスを披露した。曲は神奈川県内にある温泉ホテルが宿泊客サービスに作った「七福神踊り」が音源。利用許可を得てオリジナルの振付をした。最後にまた全員で踊り、前列に集合し「ワッハッハッハー」「ワッハッハッハー」「ワッハッハッハー」と大笑いして終わった。
■写真上:演技が終わり、満面の笑みで知り合いに手を振る座員
俵積み唄は「ハァ、春の始めに この家の旦那様 七福神のお供して 俵積みに参りた」で始まる青森県南部民謡の踊り。かつてお家繁盛を祈る門付の芸だったらしい。座員全員が総出で踊ってフィナーレを盛り上げた。
獅子から鬼、そして大黒天を演じた星野座長は大槌を置き、面を取ると汗だくになっていた。「きょうの出来は8割ぐらいかな。七福神の一人が風邪ひいて休んでしまって、1回しか練習していない座員が急遽、代役を務めたからね……。演技がもう一つだった」
たった1回の練習で本番に臨んだ座員がいた? 観る側からは全く気付かなかった。
■写真上:囃子方も「正装」で本堂前に陣取った(左)、初詣客に愛嬌をふりまくサービスも欠かさない(右)
一座は2017(平成29)年8月に旗揚げした。野田市の登録団体紹介コーナーや一座のチラシに活動目的は「笑えることの大切さを伝える事」とある。それには深い訳があった。
一昨年9月、70歳で病死した星野さんの妻、亮子さんが、生前、軽い脳梗塞を患った際の後遺症からか、顔がこわばってうまく笑えなくなった時期があった。
回復しつつある中で、笑えないことを寂しく思うようになった。そんなある日、夢の中に毘沙門天が出てきたという。「毘沙門天が出てきたってことは七福神をやれってことかしら」と思うようになった。
かつて会社勤めをしていた亮子さんは、歓送迎会や忘年会などを取り仕切る「宴会部長」だったという。特に余興の出し物を考え、衣装やかつらを作ったり、メイクを担当したり、演出したりするほどだった。
「笑うことで生きる楽しさ、元気を取り戻してもらえるような活動がしたい」と思い立ち、星野さんの尻を叩き、カラオケ仲間らを誘って一座を立ち上げた。星野さんが会長、亮子さんが座長を務め、面や小道具は星野さん、衣装は亮子さんがそれぞれ手作りした。
色んな音源を探してもらい、二人で振付を考えた。今の座員は60~70代の12人。高齢なので難しいものは避け、覚えやすいよう工夫したという。
レパートリーは「巫女と神主」「鬼のパンツ」「長生き音頭」「花咲かじい」などに大洞院での出し物を加えて13ある。すべて面を付けてのコミカルな演技で、観客を舞台に招き入れての参加型もある。1演目2分から7分。30分公演が多いので、3~4演目組み合わせているという。
夫婦二人三脚の活動で老人施設や病院、野外イベントなど近隣や東京都内も含め年に60もの公演依頼が舞い込んでいたが、コロナ禍後はほとんどない状態が続いた。
そんな中で体調を崩し、床に臥す亮子さんは亡くなるまで一座の存続を望んでいた。その遺志を継ぐように月1回の稽古は欠かさずに続けた。昨年からぽつりぽつりと依頼が来るようになった。大洞院と同じ日の午前、流山市のお寺でも公演した。
星野さんは「観た人が笑ってくれて、喜んでくれるのが何よりだね。やっぱりやっていてよかったと思っている」と話した。
野田市にある星野さんの自宅リビングに二つの絵が飾ってある。一つは20代の頃、描いた父親からもらった七福神、もう一つは亮子さんが描いた油絵100号の獅子舞。七福神の絵はもらったことすら忘れ、永く箪笥の奥にしまっていていたものだ。
■写真上:亡き妻の亮子さんの遺影と油絵の前で「爆笑 星の座」を語る星野進座長(野田市の自宅)
二つのモチーフは今や一座の主要な出し物。星野さんは二つの絵を眺めながら不思議な縁を感じている
(文・写真 佐々木和彦)