ミュージアムINFO

9月

     9月

エミ・タケ・フォト展
「想い出のにっぽん」

開 催 2022年9月1日(木)~2022年9月15日(木)
場 所 鎌ヶ谷市東部学習センター
鎌ヶ谷市東道野辺4―9―50
Phone047―441―0211

時 間 午前9時~午後10時(最終日は午後5時まで)会期中は休館なし

主 催 岩本武尚、岩本恵美子
入場料 無料


心染みる「中秋の名月」
各地の夜空にまんまると浮かぶ



夏期企画展 杉村楚人冠生誕150周年記念展示
「杉村楚人冠の青少年時代—名ジャーナリストの原点を探る
  

2022年7月12日(火)~2022年10月2日(日)
時 間 午前9時~午後4時30分
(入館は午後4時まで)毎週月曜休館

場 所 杉村楚人冠記念館
住 所 我孫子市緑2-5-5
Phone 04-7187-1131
主 催 杉村楚人冠記念館
入場料 一般300円、高校・大学生200円

ジャパンバードフェスティバル2022プレイベント
バードカービング展「内山春雄&鳥刻の会と小学生の鳥たち」
  

日 程 2022年9月16日(金)~2022年9月21日(水)
場 所 あびこ市民プラザギャラリー あびこショッピングプラザ3階
我孫子市我孫子4-11-1
Phone 04-7183-2111
主 催 ジャパンバードフェスティバル実行委員会
後 援 我孫子市
特別協賛あびこショッピングプラザ
協 賛 シミズメガネ シーズスペース・ヌック
入 場 無料

柏市立手賀東小の稲刈り体験



旅好き夫婦の写真展
全国各地、海外の街並みも

――「旅先の記録に始めた写真なんだけど……」。鎌ヶ谷市の岩本武尚さん(75)、恵美子さん(71)夫婦が鎌ヶ谷市東部学習センターで写真展を開催中だ。エミ・タケ・フォト展「想い出のにっぽん」。旅好きの夫婦が撮りためた写真を展示している。コロナ禍で中止していたが、3年ぶりに復活させた。

 

 

写真上:「エミ」の岩本恵美子さん(右)と「タケ」の岩本武尚さん

 

 

 

同センター通路ギャラリーに上下2枚ずつ25列。写真展タイトルの「エミ・タケ」は名前の頭文字で、恵美子さんの「エミ」、武尚さんの「タケ」の撮影名が作品の上下交互に並ぶ。

 

写真上:撮影者「エミ」「タケ」の作品が上下2段交互に掲げられた

 

 

 

写真はシックな黒い額に入ったA3判より一回り大きいA3ノビ(329×483㍉)の大判。北は北海道から南は鹿児島・奄美大島までの海、川、山、季節の花々などバラエティーに富んだテーマだ。

 

 

夫婦旅行で訪れた場所で撮った写真。作品一枚一枚に短歌風のメッセージが付いている。短歌好きの武尚さんが考えたものだという。

 

 

武尚さんは大学時代、化学系ゼミの資料作りでフィルムカメラをいじったことはある。が、本格的には夫婦で新聞販売所を切り盛りしていた50代から始めた。市内の写真愛好グループに入会し、5、6年在籍して技術を磨き、作品展にも参加した。

 

 

写真:日本各地の美しい自然や季節の花などがテーマになっていた

 

 

新聞の休刊日には必ずといっていいほど夫婦で1泊の旅に出て写真を撮った。最初に手にしたのはフィルムの一眼レフカメラだったが、自分でプリントできるデジタル一眼に代った。「写真が好きというより、主人に付き合って撮るようになった」という恵美子さんも、引き込まれるようにコンパクトカメラから一眼レフを持つようになった。

 

 

62歳で仕事を引退すると、旅に出る回数も多くなった。二人で全47都道府県を回り「日本と違う景色を求めて」(武尚さん)海外にも行くようになった。渡航先も45か国となり、1回の旅で1000~2000枚を撮影する。国内外大量の写真はパソコンの外付けハードディスクに保存している。

 

 

「一緒に旅行に行って、一緒に撮った写真だから、一緒に展示しましょう」(恵美子さん)と2018(平成30)年5月から夫婦写真展を開くようになった。武尚さんは「何十年も一緒に新聞販売所の仕事をやってきたし、一緒に開く写真展に何の違和感もなかった」。

 

 

あらかじめ気にったものを数十点選んで別に保存しており、それからピックアップして展示する。1回目はキラリ鎌ヶ谷市民会館で海外の写真を集めた。翌19(令和元)年は春に海外、秋に国内写真を展示した。20(令和2)年は計画したものの、コロナ禍で叶わなかった。

 

 

写真:今年7月に「エミ」撮影の石川県金沢市の古い街並み(上)とJR金沢駅前を撮影した最新作もあった

 

 

 

 

 

長年、夫婦で連れ添って訪れた旅先でカメラに収めた写真。撮影後はパソコン2台を使い、それぞれのモニターで互いの写真を同時に写し出す。同じ場所での撮影もあるが、武尚さんは「これいいねってくらいで批評はしない」という。

 

 

「でも、最近(エミの写真は)捉える目がしっかりしてきて、いい感じになってきた」

 

 

恵美子さんは「一緒に旅行に行って一緒に写真を撮るのが楽しい。作品展で写真を額に入れて飾ると、よくなります。見栄えもいい」と笑う。

 

 

写真:展示会場の先頭に手作り感あふれる案内板があった

 

 

 

 

 

作品展後の9月末、青森県下北半島の恐山など、北東北に3泊旅行に出かける。十数年前に訪れているが、違う季節の風景が狙いだ。

 

 

今回は「国内版」だったが、来年5月には同市民会館で「海外版」の展示を計画している。

 

 

 

岩本恵美子作品

 

 

左:「橋杭岩」 立ち並ぶ岩の見事さ華麗なり、何千年も続いた景色なり、眺める人の気持ちは如何に(2017年8月、和歌山県串本町)

右:「越前海岸」 荒波の日本海が創出した岩の芸術か、見事な居りなしを…(2022年7月、福井県越前市)

 

 

 

左:「樹」 樹連なり、水面に反射して秋の風情なり(2014年12月、東京都新宿区)

右:「地に空に」 コキアの見事さ溢れて飾り、空にも明日の天候飾る美しさ(2014年10月、茨城県日立市)

 

 

 

岩本武尚作品

 

 

左:「静かな」 雲が漂う青空に何を思っているのかな。ドーンと構えた大岩なりて(2014年6月、北海道中札内村)

右:「滝」 滝川上流が源流とされる袋田の滝、見事な水量。冬は氷瀑となる(2021年7月、茨城県大子町)

 

 

 

左:「日没」 大きな心を秘め足りて、真っ赤な希望がまた明日へ…(2021年5月、秋田市)

右:「白樺湖」 蓼科山を見上げて湖水を見れば、夏の爽やかさが心に染み渡る気持ちなり…(2021年7月、長野県茅野市)

 

 

 

(文・写真 Tokikazu)

心染みる「中秋の名月」
各地の夜空にまんまると浮かぶ

――「中秋の名月」の9月10日、秋晴れの一日となり、各地でまん丸いお月様が観られた。旧暦8月15日に出る1年で最も美しい月とされる。今年は満月と重なり、夜空を仰ぐ人たちをより一層、魅了した。

写真:餅つきするウサギが見える? オレンジに輝く真ん丸な名月

 

 

 

月の出は午後6時10分。柏市あけぼの山農業公園から望む東の空は晴れ渡り、薄い雲がかかる程度だった。シンボルの風車をライトアップする灯りが輝きを増し始めた同15分過ぎ、オレンジ色に染まった月が静かに顔を出し始めた。

 

写真:風車の上にぽっかりと上がった「中秋の名月」=9月10日午後7時22分、柏市のあけぼの山農業公園

 

 

 

 

 

 

 

 

チーチーチーと虫が鳴き、時々、魚の跳ね音がする風車前の池の渕で、その時を待っていた約10人の写真愛好家らがささっと無言で動き始めた。手持ちカメラで撮影を始めたり、三脚の位置を直したりで忙しい。

 

その間、月はぐんぐん上昇し、あっという間に風車の羽根上空まで昇った。まるで生き物のように……。オレンジ色に輝くそれにしばし見とれた。本格的な秋の訪れを実感する心に染みる名月だった。

 

名月を取ってくれろと泣く子かな  小林一茶

 

 

 

(文・写真 Tokikazu)

楚人冠の青少年期
ジャーナリストへの道

 

――31歳で朝日新聞に入った杉村楚人冠(1872―1945)は英語力を買われて欧米への特派員生活を送った。帰国後、外国での見聞を活かし、調査部や記事審査部を設置、縮刷版、写真誌「アサヒグラフ」を企画するなどした。新聞界を牽引する役目を果たしたジャーナリストでもあった。その原点はどこにあったのか。

写真上:似顔(伊原宇三郎作《楚人冠デッサン》/杉村楚人冠記念館提供)

 

 

 

生誕150周年の今年、楚人冠が住んだ我孫子市の「杉村楚人冠記念館」がヒントとなる企画展「杉村楚人冠の青少年時代—名ジャーナリストの原点を探る」を開催中だ。青少年期に限った企画展は2011(平成23)年11月の開館以来、初めてだという。

 

写真:企画展「杉村楚人冠の青少年時代」の案内板

 

 

 

 

 

 

 

 

 

和歌山市出身の楚人冠の本名は「広太郎」。朝日入社前の米国公使館員時代、シルクハットをかぶっていた。自分のような野人には似合わないとして、帽子置き場に「楚人冠」という目印を付け、そのままペンネームにしたようだ。

 

 

青少年期の広太郎は、12歳からつけ始めた日記が物書きの入り口で、身に付いた幅広い知見は多彩な友人との交遊にあったことが、企画展でうかがえた。

 

写真:楚人冠の胸像

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日記は10歳の時に親戚が勤めていた和歌山の測候所に遊びに行き、所員の「宿直日記」を見て真似したくなったのだという。

 

企画展の最初の展示品は「十二日間分虚実日記」(じゅうににちかんぶんきょじつにっき)。旧和歌山中学校(現和歌山県立桐蔭中学・高校)時代の1886(明治19)年6月4日から学校での心に残る出来事を記録している。

 

写真上:旧和歌山中学校時代の学校生活をつづった「十二日間分虚実日記」

 

 

 

次いで同9月7日から始まる「中黌丙戌之異聞」(ちゅうこうひのえいぬのいぶん)は「ストライキ」ともいえる事の顛末が記されている。

 

 

写真上:学校で起きた「ストライキ」の顛末が記された「中黌丙戌之異聞」

 

 

 

学校が計画した今でいう学年・学級編成の変更案が発端。いきなりで無理な変更だとして、広太郎らは段階的な学年・学級移行を求める建言を校長にした。校長にはけんもほろろに拒否され、泣き寝入り状態で諦めた。

 

 

ところが、校長は間もなくして建言通りの方針に改め、実施した。広太郎は「人を馬鹿にするにも程がある」と激怒。ストライキのように学校に行かなくなった。同調する級友も少なくなかった。翌年1月、「法学研究のため」を理由に退学した。その日記の脇には自筆の退学願もある。

 

 

写真上:法学研究のための上京を理由にした退学願

 

 

 

 

いずれも大人びたしっかりした文字に文体。10代前半にしてすでに正確に記録したり、描写したりする力を身に付けていたようだ。

 

 

旧和歌山中では明治期の仏教運動家古河老川(本名・勇、1871―1899)と同級で、五つ上には「歩く百科辞典」とも「博物学者」とも称された南方熊楠(1867―1941)がいた。

 

 

上京した広太郎は英吉利法律学校(現中央大学)仏語法律科に入学。お寺が実家の古河は広太郎よりも前に旧和歌山中をやめ、京都の仏教系学校に行った。別れた二人は文通でさらに仲良くなった。ただの文通ではない。手作り雑誌を交換し、批評するなどして文章力を養い、高め合うものだった。

 

 

 遅れて上京した古河が同じ学校の英語予備科に入ったのを機に、広太郎も同科に編入する。間もなく二人は国民英学会に移って本格的に英語を学ぶ。ここで広太郎は23か国語を操る米国人言語学者イーストレーキ(1858―1905)と出会い、生涯続く師弟関係を築く。

 

 

写真上:主な展示物には大判の解説パネルが付けられていた

 

 

 

仏教改革を目指す古河は、キリスト教を知ろうと、ミッションスクールに通うようになる。のちに古河は広太郎にも自由神学校という、キリスト教の学校を勧めた。広太郎は仏教、キリスト教の共通点となる「悟り」「愛」を学ぶ。

 

 

二人は仏教雑誌で新仏教、仏教改革運動を提唱し、広太郎は国家による宗教の保護、干渉の排除を強く訴えた。28歳の若さで病死した古河は広太郎に最も影響を与えた人物とされる。古河の死後、広太郎は「老川遺稿」集を自ら編集し、発行した。

 

 

広太郎の上京には、少なからず南方の影響がある。南方は学問などのため、多くの紀州人の上京に尽くした人物としても知られているからだ。南方は在京の和歌山学生会に入ることも勧めた。

 

 

勧めに応じて入会した広太郎は、同会が発行する雑誌の編集委員を務め、小説や評論などを執筆した。この活動がジャーナリスト・歴史家の徳富蘇峰(1863―1957)を囲む青年文学会活動へと繋がった。

 

 

大家の講話速記が中心の「青年文学雑誌」から会員らが執筆する「青年文学」への衣替えに尽力し、編集委員・編集主任を務め、自らも積極的に出稿した。

 

 

 

企画展順路の最後に古河ら広太郎にかかわった人物のイラスト入り相関図、朝日入社までの年表が掲示されている。そこには広太郎と深く関わった各界30人の名があった。

 

写真:若い楚人冠が影響を受けた師や、ともに学んだ友人らの相関図もあった/杉村楚人冠記念館提供

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

企画展担当の学芸員・武藤真奈さんは「古河に代表される友との出会いを通じて広がった興味を自分の中に落とし込んで考え、アウトプットするのがうまい。英語、仏教などなど身に付いた知識の積み重ねがあって、ジャーナリストとして成功した」と分析している。

 

 

写真上:展示資料を説明する学芸員武藤真奈さん

 

 

 

会場の杉村楚人冠記念館は1912(明治45)年に楚人冠が建てた別荘の母屋、茶室など4棟からなる。すべて我孫子市指定文化財。関東大震災後の24(大正13)年に都内から越し、亡くなるまで住んだ。

 

写真:会期中に開催したワークショップで入場者が製作したイラスト

 

 

 

 

 

 

 

(文・写真 Tokikazu)

ヤイロチョウ全種制作へ
野鳥彫刻家、内山春雄さん

 

――我孫子市の野鳥彫刻家、内山春雄さん(72)が新たな挑戦を始めた。「幻の鳥」といわれるヤイロチョウ(八色鳥)30種をバードカービング(野鳥彫刻)で進化をまとめる系統樹づくりだ。9月16日から我孫子市で開催したバードカービング展「内山春雄&鳥刻の会と小学生の鳥たち」の会場に道具を持ち込み、第1号を完成させた。

写真上:展示会場でヤイロチョウを制作する内山春雄さん

 

 

 

写真上:完成第1号のヤイロチョウ

 

 

 

ヤイロチョウは体長18~20㌢で赤、青、緑、黄などカラフルで鮮やかな羽毛のため、その名がついた。ボルネオ島など東南アジアから毎年夏に四国・高知の四万十川流域など西日本に飛来する渡り鳥だ。

 

 

人里離れた深くて暗い広葉樹林で営巣し、9月まで繁殖する。雌雄一対が5、6個の卵を産み、森の中で子育てするが、警戒心が強く、めったに人目に触れないという。

 

 

 

写真:内山さんが1年かけてデータを集めて描いたヤイロチョウのイラスト

 

 

 

 

それでも1937(昭和12)年に国内で繁殖しているのが初めて写真で確認された。64(昭和39)年に高知県が県の鳥に指定した。

 

 

「めったに見られない鳥で、せいぜい鳴き声が聞こえればよいほうだという。博物館にも展示されていない個体。それなら雌雄60体を作ってみるか」

 

 

思い立った内山さんはこの1年、毎夜のように就寝前のパジャマ姿でパソコンをたたいた。ネット上にある情報から学名、英名、和名、体調、口ばしや足の長さなどのデータを集め、イラストなどにした。

 

写真上:ヤイロチョウを制作する内山さんと入場者の会話も弾む

 

 

作品展会期中にオス一体を完成させた内山さんは「ヤイロチョウというだけあって色付けが難しい。羽根の部分にある黒、灰、白色は複雑で単なる塗り合わせでは出せない。元々は神が作った色なんだからそう簡単にはできないよ。まぁ、全部出来るまで3年はかかりそうだが、面白い」と笑った。

 

 

今年2月に次いで2回目の作品展だが、今回は11月に我孫子市で3年ぶりに計画している「ジャパンバードフェスティバル2022」(JBF、同実行委員会など主催)のプレイベントとの位置づけだ。

 

 

内山さんの最新作や内山さんのバードカービング教室に通う生徒グループ「鳥刻の会」会員の作品22点、我孫子市立高野山小学校6年生が内山さんの2日間、延べ8時間にわたる授業を受けて作ったメジロ、アカハラ、オオルリ、ツバメなどの小鳥112点が展示された。

 

 

写真上:今回も我孫子市立高野山小学校6年生の作品も並んだ

 

 

 

 

「鳥刻の会」会員の井上岳彦さん(78)はチョウゲンボウ、アカゲラの2点を出品した。2005(平成17)年から教室に通うようになり、09(平成21)年の全日本バードカービングコンクール(日本バードカービング協会主催)にアカハラを出品して以来、毎回入賞しているのが励みだ。

 

 

写真上:チョウゲンボウ(左)とアカゲラを出品した「鳥刻の会」会員井上岳彦さん

 

 

 

 

井上さんは「内山さんの教室で指導を受けながら作っているが、自分の思った通りに出来るのが楽しい。年に1作のペースだが、これからも体の続く限りは作っていきたい」。

 

 

バードカービングを始めて40年の内山さんの豊富な知識を交えたギャラリートークも呼び物だ。9月17日のトークは東太平洋に浮かぶエクアドル領ガラパゴス諸島で、独自の進化を遂げてきた「ガラパゴスフィンチ」に話が及んだ。ダーウィンが動植物の進化論のアイディアを得た島として知られ「ダーウィンフィンチ」とも呼ばれる。

 

写真:作品展のポスター兼案内チラシ

 

 

 

 

 

内山さんは4年前に15種といわれる「ガラコバスフィンチ」の系統樹を完成させている。ところが、今年7月、新種が増えたとの情報が舞い込んだ。すぐに米国・プリンストン大学の鳥類研究者に照会したところ、これまでと違う鳴き声の2種、吸った鳥の血を餌にする1種が新たに見つかった、というのだ。

 

 

写真上:ヘノベッササボテンフィンチの雄

 

 

 

内山さんによると、鳴き声の違う2種は「ヘノベッサコガラパゴスフィンチ」「ヘノベッササボテンフィンチ」、吸血の種は「バンパイヤグランドフィンチ」(ハシボソガラパゴスフィンチの一種)と呼ばれるようなった、という。

 

 

写真上:バンパイヤグランドフィンチの雄(右)と雌

 

 

 

 

さっそく新種を制作して系統樹に加えたが「鳴き声が違う別の種と言われても、私には鳴き声は表現できないよね。吸血の種は口ばしの長さが少し違うからなんとかなった」と説明して会場の笑いを誘った。

 

 

JBFは「人と鳥の共存を目指して」をテーマに11月5日(土)、6日(日)、JR我孫子駅南口や手賀沼湖畔の生涯学習施設「アビスタ」、手賀沼公園などが会場。各種市民団体や行政などが参加し、鳥を中心にした自然環境の研究・活動の発表、鳥の彫刻・絵画・写真展などが計画されている。

 

 

 

 

写真上:「鳥刻の会」土山ひとみさん(我孫子市)のアオバト(左)、「鳥刻の会」小池健一郎さん(市川市)のオシドリ(右)

 

 

 

写真上:「鳥刻の会」中茎義昭さん(佐倉市)のカケス(左)、「鳥刻の会」中棹康晴さん(千葉市)のワライカワセミ(右)

 

 

 

(文・写真 Tokikazu)

実りの秋実感の体験学習
「不易と流行」の柏市立手賀東小学校

――「実りの秋」を迎え、柏市手賀にある同市立手賀東小学校(佐和伸明校長、児童70人)で9月29日、伝統の稲刈り体験があった。学校近くにある黄金色に染まった農家の田んぼで、5月に田植えしたモチ米を全校児童が一人ひとりカマを手に刈り取った。11月にある創立150周年記念式で地域住民らに赤飯にして振る舞う予定だ。

写真上:慣れない手つきながらもしっかりと刈り取る子どもたち

 

 

午後の総合学習の時間を利用した。思い思いの服装に帽子、長靴姿で田んぼ脇に集合した子どもたちはまず、農家の村越等さん(66)、川村太郎さん(45)から話を聞いた。

写真上:稲刈りの仕方を話す農家の村越等さん(左)川村太郎さん

 

 

川村さんは「カマで手を切らないよう、上級生の5、6年生から使いかたを聞き、見習って刈ってください」と注意した。一人ずつ小さなカマを受け取って1~6年生が1組になった数組に分かれて作業に入った。

写真上:数グループに分かれての刈り取り作業

 

 

2人並んだ1、2年生の女児はしっかり両手に軍手をはめて、左手で稲をつかみ、右手のカマで器用に刈り取った。小さな手で一握りずつ刈っては後ろに積み重ねると、あっという間に小さな山が出来た。

 

 

子どもたちは田んぼを回りながら指導する村越さん、川村さんに習って作業を進めた。始めて30分過ぎた頃、稲穂を垂れていた田んぼは早くも稲株が目立つようになった。

写真上:手刈リとはいえ、黄金色の田んぼが見る見るうちに稲株だらけになった

 

 

収穫した稲束を集めて記念写真を撮った後に脱穀作業に着手。両手いっぱいに抱えた稲束を川村さんらに渡し、コンバインによる脱穀を見守った。

写真上:コンバインでの脱穀作業を手伝う子どもたち

 

 

「カマで刈り取るのが楽しかったし、大きなコンバインがすごかった」(4年女児)、「初めてだったけど、刈り取ることと、トンボやカエルもいて、めっちゃ楽しかった」(1年男児)

 

写真:刈った稲を持ち上げて見せる女児

 

 

 

 

 

 

 

 

 

終わりの会で、川村さんは「楽しかったですか? 去年よりも多く、きれいに刈り取れた。来年はもっと刈り取れるようにしましょう」と話した。子どもたちから「去年よりもきれいに刈り取れたといわれてうれしい」「去年よりうまく、いっぱい刈り取れて楽しかった」などといった感想が相次いだ。

写真上:刈り取ったたくさんの稲束を両肩に担いで記念写真に納まる男児(左)、終わりの会で積極的に農家に感想とお礼を述べる男児(右)

 

 

旧沼南町の同校は、柏市内42小学校の中で最小規模校だが、歴史は古い。明治新政府による1872(明治5)年の学制公布の翌年3月、西光院に置かれた手賀教場が起源になっている。1887(明治20)年に手賀尋常小となり、市町村合併を経て2005(平成17)年に柏市立手賀東小となった。

写真上:創立150周年を迎える柏市立手賀東小学校

 

 

田んぼの稲刈り体験は、十数年前から続く伝統行事で同校特色の一つ。恵まれた田園の自然環境を生かしたり、1~6年縦割りの異学年交流活動だったりを昔から変わらない「不易」の教育と位置づける。

写真上:子どもたちが刈り取りやすいようコンバインで田んぼが「整備」された

 

 

2018(平成30)年度から企業や団体の協力で他校に先駆け、児童1人1台のタブレット(コンピューター端末)を配った。ネット検索やデジタル教科書を使うなどで情報活用能力、創造性を育み、新しい時代に適応する「流行」の教育を目指す。コロナ化で休校になった際もスムーズにオンライン授業に移行できた、という。

 

 

「不易と流行」の教育で「小さな学校 大きな学び」を唱える佐和校長は「地元の魅力を活かした農業体験に加え、日々の教育内容の充実が大切だ。そのために最先端のタブレットを使った教育に取り組んでいる」という。

 

 

タブレット教育の実践は、佐和校長監修による書籍「創造性を育む『1人1台端末』活用事業」(小学館)で紹介されている。特色ある教育に魅かれ、在校生の約半数が学区外から通う子どもたちという。

写真上:収穫を待ちかねたように首を垂れる稲穂

 

 

創立150周年記念式典は11月5日(土)に開かれる。子どもたちは収穫したモチ米を保護者らにお祝いの赤飯にしてもらって、参加者とともに食べる。その後の学習発表会で農業体験に関したテーマを披露する予定だ。最後は記念花火150発が打ち上げられる。

 

 

(文・写真 Tokikazu)