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3月

     3月

雛人形飾り、地域づくりにも
各地で開かれた「桃の節句」イベント

 

ルールなき戦いに挑む
「忍者」初見良昭さんの足跡

 

 

野田市企画展
世界が尊敬する忍者 武神館宗家
初見良昭の足跡をたどる

開 催 2022年1月12日(水)~2022年3月28日(月)
場 所 野田市郷土博物館
野田市野田370-8
主 催 野田市
協 力 武神館
入場料 無料

 

 

心弾むサクラの季節
ライトアップ、夜空に輝く


 

 

 

只見大好き写真展

 

 

開 催 2022年3月20日(日)~同23日(水)
場 所
パレット柏・市民ギャラリー
柏市柏1-7-1-301号(Day Oneタワー3階)
主 催 只見写真愛好会
後 援 柏市、柏市教育委員会、只見町、パレット柏
入場料 無料

雛人形飾り、地域づくりにも
各地で開かれた「桃の節句」イベント

――あかりをつけましょ ぼんぼりに お花をあげましょ 桃の花……。3月3日の「桃の節句」になると、どこからともなく聞こえてくる「うれしいひなまつり」(サトウハチロー作詞、河村光陽作曲)のうた。雛人形を飾って女の子の健やかな成長を願う「雛祭り」だ。東葛のあちらこちらで関連イベントが開かれた。

写真上:雛人形や吊るし雛、傘福など色んな手作り雛飾りが出品された会場(流山市生涯学習センター)

 

 

流山市では流山商工会議所女性会、NPO法人「流山ひろがる和」の2団体が、それぞれ公共施設や個人商店を会場に「ひなめぐり」を企画した。

 

 

同女性会は江戸時代から白みりんで栄え、土蔵など歴史的な景観が残る本町地区の活性化を目指し、2016年から始めた。「流山本町ひなめぐり」(2月11日~3月6日)として、流山福祉会館を主会場に商店など45か所で、市民らから提供された7段飾りなど約600点を展示した。

写真上:可愛いウサギ三匹の雛人形(左、流山市生涯学習センター)、一匹ずつ和布に包まれたウサギの手作り雛(右、流山福祉会館)

 

 

同会館の大広間で展示された大小さまざまの段飾りの中に、同女性会会員山下智子さんの7段飾りも並ぶ。70年近く前に父親が買ってくれたものだという。山下さんの記憶では二十歳前後まで実家で飾ったが、以後は長い間、屋根裏で仕舞われたままだった。

 

昨年のイベントから展示品に加えた。山下さんは「ごめんねー、長い間飾ってあげられなくて、との気持ちで胸がいっぱいになり、自然に涙が出てきました」。

 

 

 

写真上:1953(昭和28)年の雛飾りの前で思い出を語る流山商工会議所女性会の山下智子さん

 

 

 

「流山ひろがる和」は、伝え、広げて、繋いでいこう――と和文化の一環として、古着の和服などをリユースした人形作りなどに取り組んでいる。吊るし雛などの手作り品を流山市役所ロビーや同市生涯学習センターなどで展示してきた。活動を始めた9年前は「流山ひなまつりの会」と名乗ったが、NPO化した2019年から今の名前に変えた。

 

 

写真上:1967(昭和42)年頃の雛人形(流山市の一茶双樹記念館)

 

 

一昨年、昨年はコロナ禍で中止を余儀なくされて、今回は2019年以来、3年ぶりに「流山のひな巡り」(2月17日~3月2日)として開催した。メーン会場の同センター大・小ギャラリーでは手作り内裏雛、吊るし雛、タペストリー、木目込み、つまみ細工など様々な作品が並んだ。

 

写真:蚕の竹籠を使った壁掛け型の雛飾り(流山市生涯学習センター)

 

 

 

 

 

 

写真上:マスクをして干支の寅を抱きかかえる今どきの内裏雛(流山市生涯学習センター)

 

 

 

「ひろがる和」副代表の金山美智子さんは「おいでになった方々から『レベルアップしましたね』って感想を頂きます。会員の皆さんはコロナで展示を休んだ間に作品を作りためた。その作品に作者のエネルギーや『コロナに負けない』という執念のような意気込みも感じました」という。

 

 

柏市花野井地区では約450年前の安土桃山時代から続くとされる地元のお寺、大洞院ギャラリーで「ひなまつり展」(2月5日~3月6日)、江戸時代からの豪農で名主だった旧吉田家住宅歴史公園で「ひな人形展」(1月23日~3月3日)が開かれた。この2か所を中心に、今年は地元商店を加え、初めて「花野井ひなめぐり2022」を企画した。

 

 

写真上:檀家が寄贈した段飾り13セットが並ぶ(大洞院ギャラリー)

 

 

大洞院によると、檀家から「雛人形を焚き上げしてくれないか」と持ち込まれた。聞けばマンションに引っ越すので、仕舞う場所がなく、手放したいとのこと。そこで引き取り始めたが、段飾りなどが集まり始め、2015年からこの時期にギャラリーや本堂の隅で展示し、公開を始めた。

 

 

大洞院の責任役員で総代の三坂俊明さんは「旧吉田家とも連携し、雛祭りを地域に広げよう、まずは花野井からやろうと、地元に呼び掛けた。今年から少しずつ輪を広げていって将来的には地域全体で楽しめるようにしたい」という。

 

 

地域の飲食店や電気店など7店が呼びかけに応じ、参加店を紹介するA4判のチラシも製作された。そのうちの1店、児童・生徒の制服などを扱う「スクールショップ タケヤ」の松丸泰優社長(28)は「私らの年代は地域から出て行って数人しか残っていない。地域のために、何かできればいいなって思っていました」と参加理由を話した。

 

 

 

写真:花野井ひなめぐり2022」参加店の雛飾り(柏市花野井のスクールショップ タケヤ)

 

 

 

 

 

 

 

我孫子市新木近隣センターでもフリースペースの座敷に段飾り3セット、玄関ロビーに吊るし雛8本が飾られていた。吊るし雛は利用者が作ったものだが、段飾りは大洞院と同じように利用者の要望で引き取ったものを展示している、という。

 

 

 

写真:玄関ロビーに飾られた吊るし雛(我孫子市新木近隣センター)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(文・写真 Tokikazu)

ルールなき戦いに挑む
「忍者」初見良昭さんの足跡

――忍術とはルールなき戦いを生き抜くことなり。忍者は国、家族、そして己を護る役目なり……。野田市郷土博物館で開かれている同市企画展「世界が尊敬する忍者 武神館宗家 初見良昭の足跡をたどる」。戸隠流忍法など九流派の宗家でもある初見さんが集めた武具などの展示資料や、著作した「忍法大全」の言葉からそんな忍術・忍者の実態、実像が伝わってきた。

写真上:野田市郷土博物館の正門。右側に忍者展の看板があった

 

 

会場の博物館は、隣接する大正年間に建てられた醤油醸造家の寄棟造り旧邸宅、同時期に造られた日本庭園を再利用した市民会館にマッチするよう校倉造風の2階建て。忍者屋敷を思わせる瓦屋根に板塀の立派な正門をくぐると、正面に旧邸宅の市民会館、右手に日本庭園があり、博物館は左手になっている。

 

 

 

写真上:特別に設けられた記念撮影スポット。忍者刀を構える初見さんの写真が出迎える

 

 

 

展示場を順路の右回りに歩いた。忍者刀に鎖鎌、手裏剣、鎖帷子(くさりかたびら)……。映画やテレビで登場する忍者が身に付けているような様々の武具が展示されている。中でも忍者刀はいろんなものが紹介されていた。

 

 

写真上:忍者刀は普通、短めだが、大勢の敵に切り込むときは三尺四寸(約1㍍)の長い物を使うという(左)、忍者刀を振りかざす初見さん(右)

 

 

 

一般に忍者刀は刀身が一尺六寸~同八寸というから48~54㌢とやや短い。狭い所でも戦えるようにするためだという。刀身より長い鞘に潜ませ、空いた部分に目つぶしなど別の武器を隠すのだという。

 

 

写真上:忍者刀の短刀は刃渡り30㌢以下だ(左)、様々な忍者刀を腰に差し、背負う初見さん(右)

 

 

鞘の下端にある鐺(こじり)という金具は武器にも使えるよう強化したものだ。鞘につく下緒(さげお=紐)は九尺(約270㌢)もあり、塀を乗り越えるときに足場にした刀を引き上げたり、敵を縛ったりに使う。

 

 

写真上:忍者の武具が写真とともに所狭しと展示された

 

 

「忍者刀はその場その場の状況で千変万化する」という初見さんの説明文があった。多数の敵に切り込むため刀身三尺四寸というから100㌢を超える長い物から30㌢以下の短刀、なぎなたのように長い刀身に長い柄が付いた長巻というものもある。

 

 

写真上:長い刀身に長い柄を付けたなぎなたのような長巻

 

 

手裏剣も三方、四方、六方、八方という平たい物や棒状のものなど流派によって豊富だ。平たい物は中央に穴が開いているが、火薬を仕込んで投げるためだという。筆者が子どもの頃、正方形の小さな鉄板の四隅を打って潰し、遊び仲間と手裏剣のようにして板塀に投げて遊んだことを想い出した。

 

 

 

写真上:忍者のおなじみの手裏剣。流派によってさまざまなものがある(左)、鎖の先に分銅を付けた鎖鎌などの武具の陳列コーナー(右)

 

 

防具もおなじみの鎖帷子が複数並んだ。しのび鎧(よろい)として「明珍宗周」(みょうちんむねかね)という鎧が会場中央の目立つ場所にあった。「明珍」は甲冑の名門流派。1964(昭和39)年~65(同40)年に初見さんが出演したテレビ番組「忍術千一夜」のスタジオで飾られていたものだという。

 

 

写真上:「明珍宗周」と呼ばれるしのび鎧(左)、忍者のイメージが強い鎖帷子(右)

 

 

初見さんは1931(昭和6)年、野田市生まれ。子どもの頃、身近に師がいた空手から武道を習い始めた。剣道、合気道、柔剣道、ボクシング、柔道を習得。より実戦的なものを志向する中、27歳の時、最後の実戦忍者と言われた武道家高松寿嗣さん(1889~1972)と出会った。

 

 

高松さんは13歳の時、60人の不良グループと対決し、打ち負かしたという武勇伝や、21歳で修業のため渡った中国で10年間、負けなしの戦いを演じて「蒙古の虎」と呼ばれた人物。初見さんは15年間、師の住む奈良県橿原市に通ってマンツーマンの稽古を受け、戸隠流忍法など九流派を受け継いだ。

 

 

1967(昭和42)年、九流派を統合した武神館道場を開いた。多くの弟子を指導する一方、映画「忍びの者」やテレビドラマ「影の軍団」シリーズなどで忍術指導や武芸考証を担当した。「武芸としての正しい忍法を知って欲しい」とアメリカを中心に各国での活動実績もある。海外の捜査・警察機関、警護、軍隊などで指導し、各国の要人から送られた感謝状などが会場で紹介されている。

 

 

写真上:海外での武術指導に対し、送られた感謝状なども展示されていた

 

 

今はコロナ禍で休んでいるが、野田市にある本部道場に習いに来る外国人が多い。最寄り駅のアーバンパークライン(東武野田線)愛宕駅で降りた大勢の外国人が道場に通う姿はテレビ番組でも紹介された。

 

 

稽古を積んだ外国人の十段以上の師範は800人を超え、母国で道場を開き、弟子を増やしている。孫弟子がまた道場を開いているので、門下生は全世界に30万人とも、40万人ともいわれている。

 

 

外国人に稽古をつける姿が動画共有サイト「You Tube」にアップされている。左胸に「武神」とある黒い道着姿の初見さんは、にこやかな表情で「はい、プレー」と稽古開始を告げる。かかってくる屈強な外国人男性の攻撃をひらり、ひらりかわす。サッと手首をつかんだかと思うと、あっという間に倒してしまう。外国人は「えっ、なんでー」といった表情をするのが印象的だ。

 

 

写真上:大勢の外国人に稽古をつける初見さん。笑顔を絶やさない

 

 

「技を忘れることが大切だ。忘れることで相手は私の動きを読めない。相手を倒すのは力の強さではなく、コントロール。無になって感じて反応するだけだ」。初見さんは、今回の「忍者展」に合わせて5回掲載の野田市広報「市報のだ」のインタビューにそう答えている。

 

 

「忍の一字は、しのびにあらず」は忍を「ひと」という韻で人と捉えよう。人が要とすることを忍術、忍法というのだと自覚し……。「虚実の忘却」は忍術に「こうしたものだ」という、決まったもの、固定したものはない。決まったものだと虚実を忘却する……。

 

 

初見さんの「忍法大全」からの言葉が数々、紹介されている。特に「虚実の忘却」のように固定観念を捨てることが「無になって、感じて反応……」に通じる初見さんの哲学のようだ。

 

写真上:「忍法大全」などの著作物にある言葉も紹介されていた

 

 

1980(昭和55)年から初見さんに師事し、武神館大師範(15段)で雲隠流忍法15代宗家の古田恒二さん(66)は「相手を尊重し、優しく包み込んで決して怒らない。武道家の心は真心が大事だという。教えの根幹は、忍者はいかに生き抜くか、生き延びるか。現代にも通じるものがある」という。

 

 

初見さんは映画、音楽、ダンスなども目指したことがあるという。幼いころから絵画や書にも親しみ、絵画作品も何点か会場に掲示されている。古武道だけでなく、多彩で著作も多い。

 

 

写真上:絵もたしなみ独特の画風の数点が飾られていた(左)、対談集も含め、多くの著作物を紹介するコーナー(右)

 

 

「市報のだ」で初見さんは「武神館武道は相手をやっつけることより、どのように『生き延びるか』に尽きる」と断言する。そして「強くなって相手を倒すことは勝ちではない。いつか仕返しされ、攻撃の応酬は平和とはほど遠い。怒りや恨みをコントロールし、人と戦わないことが生き延びるための大切な考え方だ」という。

 

 

国際情勢が揺れ動く今、大事にしたい「忍者」の心得だ、と思った。

 

 

(文・写真 Tokikazu)

 

心弾むサクラの季節
ライトアップ、夜空に輝く

――今年のサクラ(ソメイヨシノ)は3月17日、福岡での開花から始まった。観測史上最速という昨年に比べて5日遅いが、平年より5日早かった。東京も昨年より6日遅いが、平年より4日早い3月20日に開花した。

 

写真上:満開の「さくら山」を散策する市民。静かにサクラを楽しんでいた(3月28日、柏市)

 

 

東京のサクラは千葉県の開花基準木がある銚子で開花した同27日には満開となった。12月~2月はいつもより寒かった。冬に休眠していた花芽が急な陽気で一気に目覚め、咲き出したようだ。

 

写真:「ソメイヨシノ」より開花が早く、少し濃いピンク色の「ジンダイアケボノ」。「ソメイヨシノ」の代替品種とされている(3月28日、柏市のさくら山)

 

 

 


コロナ禍3年目の今年も祭り的なイベントを見送るところが多かった。手賀沼北岸の我孫子市にある手賀沼親水広場・水の館にある並木がライトアップされ、初日の3月28日訪れた。

 

手前の多目的広場では花見客を誘うように灯のついた竹灯籠が飾られていた。まちづくりグループや市内小学生によるマスコット「手賀沼のうなきちさん」塗り絵灯籠など300基。煌々とした並木の入り口のようになっていた。

 

 

 

岸辺の80㍍両側にあるサクラはまだ5分咲のようだが、根本のスポットライトが当たって反射し、無数の電飾が輝くイルミネーションのようだ。防寒着姿の見物客が「きれいね」といいながら並木を往復していた。

 

 

写真:少し肌寒い中、ライトアップのサクラ並木を楽しむ市民(3月28日、我孫子市)

 

 

 

 

 

 

新京成電鉄(本社・鎌ヶ谷市)では鎌ヶ谷市のくぬぎ山駅近くの下り線路際脇に植えられた約30本の並木がライトアップされた。沿線の陸上自衛隊松戸駐屯地の協力を得て2012(平成24)年から続けているという。3月25日から同31日の間、乗客らに車窓から夜桜を見物してもらおうという粋な試みだ。線路脇で夜桜と電車のツーショットを狙う鉄道ファンも見受けられた。

 

 

写真上:ライトアップされたサクラ並木の脇を走る新京成線の電車(3月28日、鎌ヶ谷市)

 

 

例年、露店がにぎにぎしく並び、大勢の見物客でにぎわう松戸市六高台の「六実桜まつり」も3年連続で中止となった。通りの両側にあるサクラは満開となり、街灯りに浮かび上がった。散歩の市民が時折足を止め、スマートフォンのカメラを取り出す姿があった。

 

 

写真:今年も中止になった「六実桜まつり」の会場。満開の桜が街灯に浮かんでいた(3月28日、松戸市)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

柏市の中心市街地にある歴史ある巻石堂病院庭の古木数本が見事に咲き誇っていた。歩道から写真に納める市民も珍しくない。「ここのサクラは柏で一番早く咲くのよ。きれいでしょ」。50年以上、地元に住んでいるという女性が教えてくれた。

 

 

写真:中心市街地にある巻石堂病院のサクラ。今年も見事に開花した(3月28日、柏市)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

柏市郊外の「あけぼの山農業公園」は、高台のさくら山を中心にヨメイヨシノ、ヤマザクラなど約350本がある名所だ。さくら山に通じる入り口付近に「宴会自粛のお願い」との看板が立っていた。上に登ると大小さまざまのサクラが開花し、園路を散策したり、車座になったりして、静かにお花見を楽しんでいた。

 

 

写真上:咲き始めの「ソメイヨシノ」。満開が待ち遠しい(3月25日、鎌ヶ谷市)

 

 

(文・写真 Tokikazu)

あふれる自然、たっぷり
奥会津・只見町の写真展

あけぼの山の老梅

――会場いっぱいの風景写真から、ただならぬ「只見愛」を感じた。柏市の「パレット柏・市民ギャラリー」で、同市の「ふるさと交流都市」になっている福島県只見町だけに絞った写真64点の「只見大好き写真展」だ。

写真上:初日から大勢の入場客でにぎわった会場

 

 


「自然首都」を宣言する町の四季折々の美しさが描かれている。その自然を愛する撮影者の気持ちも伝わってきた。

 

 

只見町は福島県西端の新潟県境にある奥会津の人口約4千人の町。町中央を流れる只見川、伊南川の清流と面積の94%が森林という自然環境にあり、国内屈指の豪雪地帯でもある。

 

写真:只見町(赤枠)は福島県西端の新潟県境(Map Itから)

 

 

 

 

 

 

「ふるさと交流都市」の縁結びは1994(平成6)年だった。81(昭和56)年に只見町を観光で訪れた柏市永楽台の住民が、いち早く交流を始めていたのがきっかけだ。

 

 

互いの祭りで行き来したり、農産物直売所などでの物産交流をしたりしてきた。が、コロナ禍で祭りが中止になり、外出自粛ムードもあって交流機会が減ってきた。

 

 

「なんとかしたい」。只見の自然にほれ込んで撮影に行き、只見町の魅力をPRする只見町広報員「ふるさと大使」や「ふるさと応援団」を務めた写真愛好家5人が集まった。第1期大使の猪又かじ子さん、同3期の山本修史さんらだ。

 

おびしゃ

 

写真上:「只見写真愛好会」の猪又かじ子代表(右から2人目)を囲んだ写真展スタッフ

 

 

「写真で只見を応援しよう」と写真展を企画、カメラ仲間に呼びかけたところ、あっという間に32人が集まり「只見写真愛好会」を結成した。

 

 

写真上:作品の前で足を止め、写真談議に花が咲く

 

 

 

写真展ではワイド四つ切サイズに統一した1人2点ずつの作品を展示している。早春の花から深緑の山々、JR只見線沿線の紅葉、そして白一色の冬景色……。只見の四季が惜しみなく描かれている。

 

 

 

 

作品1点ずつに番号が付けられ、会場に貼り出した只見町の地図に記されて撮影地がわかるようになっている。所々に町の大判ポスターも掲示され、宿泊地や日帰り温泉、グルメ情報のパンフレットが置かれた「観光コーナー」もあった。

 

写真:撮影地の番号を記した只見町の地図

 

 

 

 

 

代表を務める猪又さんは二十数年前、柏市あけぼの山農業公園で、初めて利根川をテーマにした写真展を開催した。この写真展が同公園での物産交流で来ていた只見町職員の目に止まり、誘われるように只見を訪れた。

 

 

「来たことがない所だったのに、なんかとても懐かしい感じがした。日本の故郷という、なんかそんな気がした。それに空気の匂い、山の匂い。そう、あのしっとりとした山の匂いがとてもいい」

縁があって幸運にも古民家を借りることができた。その古民家をアトリエ代わりにして雪深い冬以外は月に数回、撮影に行くようになった。2002(平成14)年3月には「只見憧憬」という写真集も出した。

 

写真:会場の一角に只見町の観光ポスターやパンフレットが置かれた

 

 

この写真展には、地元の住民が「どうしても見てほしい」と言って、軽トラックがやっと1台通る夏草ぼうぼうの山道を走り、連れて行ってくれた十島(じゅうじま)地区の景色を展示した。

 

 

猪又代表は「今はまだ2㍍の雪が残っているらしい。5月の連休辺り、コロナが落ち着いても大勢では無理かもしれないが、撮影旅行にでも行けたらいいと思う」という。

 

 

写真上:「只見川夏景 十島」(猪又かじ子)(左)/「トンネル抜けて 旧田子倉駅付近」(飯田武彦)(右)

 

 

写真上:「灯る 季の郷 湯ら里」(上野貞尚)(左)/「里の火祭り 朝日」(江藤和幸)(右)

 

 

写真上:「宿からの旅情 季の郷 湯ら里」(竹内知寿子)(左)/「絶景! 大志集落 金山町尻吹峠」(山本修史)(右)

 

 

写真上:「只見川霧情 三島町 只見線第1橋梁」(塚野たけし)(左)/「春呼ぶ花 長浜」(林慶三)(右)

 

 

写真上:悠久の流れ 布沢 森林の分校前」(田中征夫)(左)/「恵みの森 布沢」(ドローン撮影、松清智洋)(右)

 

 

写真上:「定時発車 只見駅」(松崎誠)(左)/「ブナ次郎 浅草岳山麓 山神杉」(中村治)(右)

 

 

(文・写真 Tokikazu)