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9月

     9月

写団萌木 第2回写真展

 

開 催:2021年9月14日(火)~20日(月)
場 所:さわやかちば県民プラザ・回廊ギャラリー(2階)
主 宰:安蒜静雄
入場料:無料
問合せ:04―7134―7007(アサヒカラ―・安蒜さん)


咲き誇る妖艶な彼岸花

 

 

大野隆司版画展 ビタミン絵~こころにえーよう

 

開 催:2021年9月16日(木)~同22日(水)
場 所:パレット柏・市民ギャラリー
主 催:柏市文化交流複合施設・パレット柏
後 援:柏市教育委員会
企 画:大洞院ギャラリー運営委員会
入 場:無料

 

書家 詩夕展

 

開 催:2021年9月17日(金)~同19日(日)
場 所:割烹旅館 角松本店
我孫子市本町3丁目
主 催:河村詩夕
入 場:1,000円(お茶、お菓子付き)、高校生以下500円

撮影者の空気感、臨場感を
「写団萌木」の第2回写真展

――柏市を中心にした写真グループ「写団萌木」の第2回写真展が柏市の「さわやかちば県民プラザ・回廊ギャラリー」で始まった。会員25人からA3判よりやや大きい「A3ノビ」というサイズで一人3点ずつの計75点が出品された。
写真上:思い思いに作品を楽しむ入場者

 

 

会場は同プラザ2階にある回り廊下を利用した文字通りの「回廊ギャラリー」。入り口の受付左側から入る時計回りが順路だ。通路左側の壁が展示スペースで、最初に「御挨拶」の文書が貼り出されている。

 

 

写真上:回廊ギャラリー入り口の受付。メンバーが交代で入場者と応対する

 

 

 

写団萌木を主宰、メンバーを指導する写真家安蒜(あんびる)静雄さん(72)が「風景やスナップ等メンバーが思いのままに撮影したものの中から個性あふれる表現の75点を展示している」と説明。その上で「写真は撮影者の気持ちや世界観を反映する。その空気感や臨場感を感じてほしい」と呼び掛けている。

 

 

写真上:第2回写真展を主宰した「写団萌木」の指導者で写真家安蒜静雄さん

 

 

 

会場を順路通りに回った。作品は目の高さに合わせるように展示されている。身近な里山や公園の草花、田園から高原、山岳、そして天体……。すべてデジタルカメラで撮影されたものだというが、四季が織りなす色どりを基にした風景が多い印象だ。入場者は夫婦で熱心に見入ったり、作品目録を手にチェックするように眺めたりしていた。

 

 

写真上:右回りが順路となった回廊ギャラリー。左側の壁が展示スペースになっている

 

 

 

メンバーの中で山歩きが好きな白井市の森山光男さん(73)は山の写真を出品した。うち1点は群馬県片品村尾瀬ケ原で昨秋、至仏山(2228㍍)を背景に2本の白樺を撮ったものだ。「間隔を空けた2本は、コロナ感染防止のソーシャルディスタンスのように見えた」として「ディスタンス」と名づけた。

 

 

写真上:群馬県片品村尾瀬ヶ原で撮った白樺2本の「ディスタンス」と森山光男さん

 

 

 

我孫子市の須田猛さん(73)は住民グループが環境保全している自宅近くの谷津を撮り続ける一方、周辺を自転車で回ってテーマを探している。今年2月の早朝、赤いネットがかけられたブロッコリー畑に霜が下り、朝日に輝く場面に遭遇した。その一瞬をカメラに収め「寒い朝」のタイトルをつけた。幾何学模様を描くような作品は、須田さんが得意とする地元の風景とは異質のようでもある。が、本人は「私にとっては何の不思議もない風景写真ですよ」と笑った。

 

 

写真上:我孫子市で撮影した「寒い朝」を説明する須田猛さん

 

 

 

 

主宰者の安蒜さんは「写団萌木」のほかにも「楽写会」「狗尾草」(えのころぐさ)など柏、野田両市拠点の5グループを指導し、写真教室の講師も務めている。かつて柏市で毎回150点を超す定期的な作品展を開いていた。その会場が使えなくなったため、参加者に発表の場を確保しようと2019年夏、「写団萌木」をつくり、同年10月、同じ会場で第1回写真展を開いた。

 

 

この写真展は1週間の会期予定だったが、会場の火災報知設備に不具合が見つかり、改修のため、2日開いただけで閉館となった。昨年はコロナの影響などで開催が見送られた。 

 

 

写真:会場入り口に掲示されているポスター

 

 

 

 

 

安蒜さんは「技術的なことより、撮りたいもの、撮影目的をはっきりするよう教えている。なるべく新しい物を出してほしいとお願いしたが、今回はコロナで好きな場所に行けず、近場で撮った作品が多かったようだ。そのせいか、前回の作風と大きな違いがなかったように思う。コロナ終息後の新作に期待したい」という。

 

ここでもまた、コロナの計り知れない影響を感じた。

 

 

 

写真上:安蒜静雄さんの「朝陽浴びて」

 

 

鶴岡勝利さん の「里の朝」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

坪井繁さんの「よさこい祭り」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中山眞吾さんの「光射す」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大関祥子さんの「リズム」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

上野優子さんの「蜜を求めて」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

稲川一正さんの「漂流」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

山下孝良さんの「凍て付く」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

松本彰さんの「妖艶に」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

萩原淳司さんの「さざ波」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(文・写真 Tokikazu)

 

咲き誇る妖艶な彼岸花
9月の代表格、名所に見物客

――9月を代表する花の一つ、彼岸花があちらこちらで妖艶な姿を見せている。真っ赤に燃えた太陽のような赤い花が去り行く夏を惜しむように深まる秋色の中で一段と際立つ。秋の彼岸の頃に咲き出すので花の名前が付けられたという説には納得だ。でも、お寺の境内や墓所、田んぼの畦道に多く見られるのはなぜだろう。

写真上:本堂裏の雑木林で満開の群落(9月15日、松戸市の祖光院)

 

 

 

彼岸花には仏教の経典に由来する「曼殊沙華」(まんじゅしゃげ)の別名がある。お釈迦様の説法の前に天から舞い降りた、この世にはない貴い「天上の花」という意味だそうだ。一方では毒々しかったり、血を連想させたり、独特の形だったりから「毒花」「死人花」「剃刀花」(かみそりばな)など不吉で悪いイメージの別名や方言が数百以上あるらしい。

写真:やはり代表格は深紅の花

 

 

 

実は、彼岸花の球根には食すと激しい下痢や嘔吐、ひどい時には呼吸不全などを引き起こすアルカロイドという毒がある。花がモグラやネズミなどから身を守る自然の摂理なのだが、人が間違って食べないよう、各地であえて不吉なネーミングにした、との見方がある。

 

 

写真上:紅白隣り合わせのめでたい組み合わせ?(9月16日、松戸市の祖光院)

 

 

 

彼岸花がお寺や田んぼに多く咲くのは、この毒性を生かしてキツネや地中の動物からかつて土葬だった墓の遺体を守り、田んぼの畔がモグラなどの活動で崩れないようにするために植えた、とも言われている。なるほどと思った。先人の知恵が働いたのかも知れない。

 

 

 

東葛の名所となっている松戸市金ケ作のお寺、祖光院は花の季節を迎え、連日、見物人が絶えない。本堂を囲む雑木林の中に無数の花が咲き誇る。赤が中心だが、よく見ると白や黄、ピンクも交じり「競艶」するかのようだ。三脚に大きなカメラを抱えたり、スマホを持ったりの見学者が思い思いの場所で撮影を楽しんでいた。

 

 

写真上:黄、赤、白の3色が楽しめた(左)、花盛りを楽しむ見学者(右)(9月16日、松戸市の祖光院)

 

 

 

柏市藤ヶ谷にある持法院も名所に数えられている。旧沼南町の田園にあるお寺で、参道にある朱色の山門が印象的だ。事前にネットで見ると、山門の入り口周辺や門を背景にした花の写真がとても素敵だった。が、行ってみると、境内や周辺に数えるほどしかない。どうしたんだろう。境内で舞い散る枯れ落ち葉をかき集めていた男性に聞いた。

 

 

 

「んーん、今年は全然ダメなんだ。たくさんの人が見ようと来てくれるけど、申し訳ないなぁ。暑かったり、寒かったりの変な天気のせいか……」。朱色の山門とのツーショットは来年に期待か。でも、すぐ隣にある稲刈りが終わった田んぼの畔にはいつもの年の通りという赤い花が群れをなしていた。

 

 

写真上:稲刈りが終わったひだまりの畔で満開の彼岸花(9月16日、柏市)

 

 

 

手賀沼南岸の「手賀沼自然ふれあい緑道」では地元ボランティアグループ「一球会」が育てた花がサイクリングや散歩の市民を出迎えていた。「一球会」は手賀沼の名所づくりに取り組み、1月は水仙を開花させている、という。手賀曙橋から上流2キロにわたる散歩道に色どりを添えている。見事な群生にグループの惜しみない丹精が偲ばれた。

 

 

写真上:手賀沼南岸の群落も8部咲き(9月16日、柏市)

 

 

 

(文・写真 Tokikazu)

作者の「表」「裏」を描く
過去最多の大野隆司流ビタミン絵

――ネコをモチーフにした絵柄にだじゃれ利くメッセージが優しく、温かみを感じさせる木版画家大野隆司さんの個展が柏市の「パレット柏・市民ギャラリー」で開かれた。「大野隆司版画展 ビタミン絵~こころにえーよう」。タイトルからだじゃれが出てくるが、今回は初期から最新作までの約300点が出品された。

写真上:個展を開いた大野隆司さん。にこやかに入場者を出迎えていた

 

 

 

写真上:大野作品を鑑賞する入場者。途切れることはなかった

 

 

会場に入る廊下からガラス戸越しに畳2畳分はあろうかという大作が目に飛び込んできた。ネコの親子4匹がにこやかな表情で「ようこそ ようこそ」と出迎える。大野さんがこの個展のために描き上げたものだという。会場をのぞくと270平方㍍のフロアいっぱいに作品が飾られていた。

 

 

写真上:個展のために大野さんが描いた入場を歓迎するネコの親子

 

 

受付から反時計回りが順路。最初に「大野さんの大きな手」と題した小説家北村薫さんの挨拶文が貼ってあった。「飲めば都」「雪月花」など数多くの北村作品に大野さんが挿絵を提供する仲だ。挨拶文には東京・神保町の画材屋での出会いから挿絵を頼むようになったいきさつが紹介されている。

 

 

「一枚でもうれしい大野さんの作品が、ずらりと並んでいるところを想像しただけで、大きな手でなでられる、ねこのような気分になってきます。ごろごろと喉を鳴らし、いつの間にかすやすや寝入りそうです。なにかと大変な今日この頃です。大野版画と出会うことの意味は、前にも増して深いと思います」

 

写真:会場入り口の案内板

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

会場はコーナーごとに作品がまとめられている。漢字35文字の想いなどを書いた元NHKアナウンサー山根基世さんの「感じる漢字」、宮沢賢治の「風の又三郎」(岩波少年文庫)装丁画、紙芝居「あめのひのおともだち」(童心社)の原画、読売新聞夕刊連載の各界の人物が発する「言葉のアルバム」の挿絵。と、ここまではいつもネコや動物、子どもを描いた大野さんらしい作品が並ぶ。

 

 

写真上:「感じる漢字」の作品。色んな漢字がモチーフのネコとともに描かれた

 

 

 

写真上:「風の又三郎」(岩波少年文庫)の装丁画集

 

 

 

写真上:紙芝居「あめのひのおともだち」(童心社)の原画

 

 

 

写真上:2012年から読売新聞夕刊の「言葉のアルバム」連載の版画挿絵

 

 

 

「安規供養」「影絵風景」「少年の穴」に進むと、がらりと作風が変わる。「安規」とは大野さんが30歳の時、出合った作品に大きな感銘を受け、生き方を変えるまでになった版画家谷中安規(1897~1946)のことだ。「子どもや蝶、牛などの版画に物語性があり、見ている者の頭の中にオリジナルな物語が出現する」として、当時、そろばん教室の先生だった大野さんが1981年から独学で版画を始めるきっかけになった。

 

 

写真上:初期の「影絵風景」というモノクロ作品に見入る入場者

 

 

 

「供養」には背中合わせになった二人の一つ目女、三つ目小僧、上半身だけでベローンと長い舌を出す四つ目……。色合いも気持ち悪い化け物の作品が並ぶ。「影絵」は初期の作品だそうで、文字通り踊る人影のような作品だ。

 

写真上:「安規供養」の作品。作者が別人のように怖い作品が並んだ

 

 

 

「少年の穴」は1997年、神戸市で発生した小学生5人が中学3年生に殺傷された「酒鬼薔薇聖斗(さかきばらせいと)事件」をテーマにしたものだ。大野さんは「ショックな事件だった。教育ってなんだろうと思った」という。

 

少年たちの怒りや哀しみ、恨みの詰まった穴の中、揺れ動く少年の心の叫びを「学校の拷問」「逃げたい心」「受験の恐怖」「孤独な春」「口ばっかりの大人たち」など十のモノクロ作品にまとめた。

 

 

写真上:神戸の少年連続殺傷事件で感じた「少年の穴」。「暴発の瞬間」(左)、「ぼくは人形じゃない」(右)。犯行に走った少年の内面を描いているようだ

 

 

 

東京・葛飾生まれの大野さんは柏市に20年住んだ。今は家族の都合で都内の実家で暮らしている。1997年以降、柏市内の画廊や画材店、同市立図書館で個展を開いてきたが、今回、ざっと300点を展示する規模の個展は初めてという。

 

 

写真上:いろんな大野グッズを集めたコーナーも人気だった(左)、作品集の購入者にはサインとイラストに一言が添えられた(右)

 

 

 

「安規供養」「少年の穴」のような人間の闇のドロドロとして醜く、恐ろしい有様を描いた作品はほとんど未発表だ。大野さんは「可愛いネコを知っている人が多いと思う。でも、紙に表と裏があるように私にも表裏両方ある。そんな姿を今回の個展で見てほしい」と話した。

 

写真上:「安規供養」「少年の穴」に続いて、見る人の心を鎮め、和ますような作品が続いた

 

 

 

会場に置かれた「大野隆司 木版画作品集」(A4判、たけしま出版)に「版画集を開く前に」とのB5判1枚のメッセージが挟まれていた。「かわいい猫の絵だけでなく、こわい絵もあります。お子さんに見せる場合、大丈夫かどうか判断していただけるでしょうか」とのお願いだ。

 

 

写真上:コロナ禍にあってマスクするネコと、放すネコ。終息を目指してエールを送っているようだ

 

 

 

「表(誰かを励ましたい、笑ってほしいというこころ)と裏(怒りや自分の無力さ、人間であること自体の闇)があり、表のこころを表現するほうが多いが、時々は裏のこころを作りたくなる。表裏両方合わせて大野隆司なのです」

 

 

写真上:商品化されたスマホ、メガネふき。「福布」(ふくぬの)のだじゃれが利いている

 

 

 

自身にも紙のように「表」と「裏」があると強調する大野さんだが、作品集の読者を気遣うあふれんばかりの「表のこころ」が感じられた。

 

 

(文・写真 Tokikazu)

 

       

書道とアートの融合
「我孫子宿」の老舗旅館で書展

――江戸時代に栄えた水戸街道・我孫子宿にあった旅籠の流れをくむ我孫子市の「割烹旅館 角松本店」で、同市在住の書家河村詩夕さんの書展があった。「書家 詩夕展」。老舗旅館の格式ある客間、廊下をギャラリーに見立て、書道とアートの融合を目指した170点近い「書アート」が並んだ。

 

写真上:我孫子市の「割烹旅館 角松本店」の入り口。見学者を出迎えるように書と生け花が飾られた

 

 

 

「角松」は我孫子宿の旅籠「松島屋(楼)」などが前身。明治時代に複数の旅籠が経営統合し「角松」になった。幕末騒動の頃に江戸に上る水戸藩士が宿したり、明治天皇がお泊りになったり。明治末期に手賀沼湖畔に別荘を構えた柔道家で教育者、嘉納治五郎が度々食事に訪れたことで知られている。「角松」の家族と河村さんが親しかったこともあって、個展会場として実現した。

 

 

門柱2本がある入り口に自筆の書「書家 詩夕展」と生け花が飾られた。そこから玄関に続く石畳には仏の顔に「南無……」と描いた平らな石、その台座に数本の竹ひごを付けた石のオブジェ11個が置かれた。四国のお遍路さんのように八十八か所の札所を回る「東葛・印旛大師講」をイメージしたものだ。

 

 

写真上:看板代わりの書(左)と玄関に通じる石畳に並べられた石のオブジェ(右)

 

 

 

玄関に入ると、真正面に石仏の写真、その回りを細かな書で飾った額縁が掛けられ、その下に書の半紙で包んだ生け花がセットで飾られていた。奥の客間に続く廊下には大小さまざまな額縁、衝立、屏風などの作品が所狭しとばかりに展示されていた。最初となる廊下の一番右手前に河村さんの挨拶状があった。

 

 

写真上:床の間に飾られた作品。金剛力士像の写真に書のメッセージが描かれた

 

 

 

「今回のテーマは《みほとけ=神と仏》です。普段から感じている思いを宗教や信仰にこだわらず、仏教や旧約聖書等の言葉を用いて書きました。作品を通して色んな思いを巡らせて頂けたら嬉しいです」

 

 

写真上:蓮に乗る仏様の絵に旧約聖書の「コヘレトの言葉」があった

 

 

 

仏教の伝来で経典を書き写す写経から始まったとされる書道だが、キリスト教の正典である旧約聖書との組み合わせは意外と思った。本人は「みほとけとは神と仏のこと」と解釈して、コロナ禍の中、少しでも明るい日差しが届くよう宗派にとらわれずに好きな言葉を選んだという。

 

 

写真上:親交があった写真家の故森かずおさんの石仏写真を初めて題材にした作品

 

 

 

座敷には名言を収めた長さ4㍍の折り本2冊が広げられていた。その上に般若心経が書かれた一握りほどのミニ地蔵9体がお守りするよう置かれた。展示スペースとなった玄関前の石畳、廊下、畳の客室、柱木が露出する壁の和風空間と「書アート」が違和感なく同居した。

 

 

写真上:広い座敷に飾られた2冊の折り本。1冊の長さが4㍍もある(左)、折り本に収められた様々な言葉(右)

 

 

 

河村さんは東京都町田市出身。中学1年の時、我孫子に越してきた。書は親の勧めで小学1年生の時から高校生まで書道教室で習った。中学、高校時代は部活動のバスケットボールに夢中になり、高校生の時に書道教室をやめた。

 

 

短大を卒業後、都内の有名靴メーカーに就職。24、25歳の頃、字がうまいのを知った知り合いの居酒屋スタッフにメニュー書きを頼まれた。喜ばれはしたが、勉強もしていないこんな字でいいのかと自問し、再び書道教室に通うようになった。

 

 

写真上:旧約聖書からの言葉を説明する河村詩夕さん

 

 

 

27歳の時に書道教育団体の「師範」を取った。転職を繰り返しながら書道を教えるようになり「組織の中での仕事は合わない」と思い、40歳を過ぎた頃に「脱サラ」。子どもや保護者相手の書道教室一本の生活になった。

 

 

書道教育団体から送られてくる教材を利用して昇級を目指すだけではなく、「字がうまくなりたい」「写経したい」「大きな字を書きたい」という生徒一人ひとりの希望にこたえているうち「書アート教室」的な方向になってきた。

 

 

2012(平成24)年5月、流山市の運河畔にある「ギャラリー平左衛門」での個展を皮切りに、これまで年に1~3回、市内外で個展を開いている。今回の個展には「角松さんでは初めての個展。かなり気合を入れて制作している。心に響く言葉で居心地の良い展示にしたい」との意気込みで臨んだ。

 

 

「天上大風」で知られる江戸時代の僧で詩人、書家良寛。良寛の書はバランスが崩れ、一見緊張感のない、細くてふらついたような線だが、実は見るものを惹きつける唯一無二の作風と評される。そんな良寛が河村さんの目標だ。

 

 

河村さんは「私のものは男性が書いたような力強いほうだと思う。楷書で角をつけ、縦、横のバランスを考えるから」と自己分析。これに対し、良寛のものは中心がずれたり、わざと一本抜いたり、間違ったり……が味わい深さを醸し出すのでは、とみる。

 

 

「そうなるにはもっと人生経験が必要なんでしょうね。80、90歳まで書き続けるといいのかなぁ」

 

 

50代前半の河村さん。書の人生はまだまだこれからのようだ。

 

 

 

写真上:廊下や客間の隙間にさりげなく置かれた衝立、屏風。老舗旅館の雰囲気に溶け込むようだった

 

 

 

写真上:くりぬいた丸太に描いた仏の絵と書

 

 

 

写真上:いろんな表情のこけし。仕入れた木製こけしの材料に色付けして作品にした(左)、一握りほどの超ミニ地蔵。ぎっしり般若心経が書かれている(右)

 

 

 

写真上:絵(左)、枯れ葉(右)と書のコラボはまさに「書アート」

 

 

 

写真上:今年1月の「香取さまのウシ展」に出品された河村さんの「書アート教室」に通う児童の作品

 

 

 

写真上:今年3月、我孫子市の香取神社でのイベントで、ケヤキの大木に河村さんが描いた蓮の花

 

 

(文・写真 Tokikazu)