故郷を愛し、撮り続けて50年
柏の写真家森かずおさんを偲ぶ
――「単純な風景の中に自分なりの味を……そして見あきのしない写真を撮りたい」。中学生の頃から故郷の写真を撮り続け、2019年11月、68歳で亡くなった柏市の写真家森かずお(本名・一男)さんの追悼作品展「森かずお写真展~ありのままの一瞬~」が流山市の「森の美術館」で開かれている。
■写真上:モノクロの古い作品を見て懐かしむ入場者も多い
冒頭の言葉は同展の写真集に収められている本人のものだ。旧沼南町出身の森さんは中学3年の時、当時流行った35㍉フィルムのハーフサイズカメラ「オリンパスペン」を親戚から借り、自宅周辺の茅葺き屋根の民家を撮って回った。この写真が評判となってカメラにはまった。自身も「写真の原点となった」(写真集から)としている。
■写真上:展示会場には愛用した大判カメラも紹介されている
「私はこの町が好きだ。日記を書くように写真を撮っているが、開発のスピードが速すぎて追いつけない。変わってしまうと人間の記憶なんて元の形がわからなくなるもんだよね」(同)
「被写体は地元にある」(同)が口癖で、手賀沼には毎日、通った。「彼女に会いに行くようなものだ」という。その日その日で変わる表情との出合いを楽しんだ。自分で手賀沼10景を決めていたが、さらに気に入った場所を見つけ「ゼロポイント」と命名した。その場所に陣取り、光線のあんばい、移り変わる水面の景色をじっと眺め、シャッターチャンスを待った。風景だけでなく、沼の柵、枯れ枝などが織りなす幾何学的な造形も狙った。
■写真上:手賀沼の一瞬の光景をとらえた作品。毎日通って気に入った場所、時間にシャッターを押した
毎年5月、四国のお遍路さんのように柏を含む県北西部にある八十八カ所の札所を回る「東葛・印旛大師講」の伝統行事に欠かさず参加した。菅笠に白装束姿の巡礼者と一緒に歩き、巡礼地の風景をカメラに収めた。
■写真上:伝統行事「東葛・印旛大師講」の作品群。「いろんな表情に出会えるのが楽しい」と毎年同行した
写真展会場には「原点」とする茅葺き屋根の民家を大判のべた焼き(密着印画)のようにした作品群、手賀沼の一瞬の光景を捉えた写真、同行取材した大師講参加者の表情や沿道の町並み……。大きく焼き付けられた迫力のある作品が並ぶ。
■ 写真上:中学生の時に撮影した近所の茅葺き屋根の民家。50年、地元を取り続けるきっかけになり、写真家として歩む「原点」になった
カメラを向けられて、やや照れたような野良仕事の農民、つんとすまし顔の若者、おめかししてちょっとおませなちびっ子……。作品が醸し出す風土、民俗は移り変わる郷土のドキュメンタリーだろう。
■写真左:農作業をする女性。農村の日常的な風景が描かれている
時代は今や、デジタルカメラ主流。だが、森さんはハーフサイズから35㍉、さらに大判フィルムのカメラにこだわって撮影を続けた。手賀沼写真コンクールなど数々のコンテストで入賞し、1999年には東葛地域の民間文化、芸術表彰の「第9回ヌーベル文化賞」、2006年には第58回三軌会の写真の部で文部科学大臣賞を受けている。
■写真上:第58回三軌会で文部科学大臣賞を受賞した「らせん」(左)と「くろ、しろ」。同じ写真を貼り合わせる意外な技法がとられている
■写真上:会場の「蜜」を避けるため、美術館側は入場希望者の予約制をとっている
■写真上:大焼きした手賀沼湖畔の作品を覗き込む入場者
会場の美術館は文字通り木々に囲まれた森の中で2016年8月に開館した。出来て間もない頃、タオルの姉さんかぶり、長靴姿の森さんが現れた。森忠行館長は「最初は何者かと思いましたね」と笑う。姉さんかぶりに長靴は森さんのトレードマーク。地元を撮り続けている写真家と知ってすぐに打ち解けた。
■写真上:森かずおさんの思い出を語る「森の美術館」の森忠行館長(左)と茶人爲公史さん。爲さんは滋賀県甲賀市信楽町を本拠に茶室を積んだトラックで移動し、全国で茶会を開く(森の美術館前庭)
「館長と森さんは前世で兄弟だったのでは」と同館スタッフが思うのにそんなに時間がかからなかった。森さんの来館をうれしそうに笑顔で迎える森館長。二人はとても仲が良かった。
森さんが亡くなった後、友人らが自宅の遺品整理を始めたところ、未発表のプリントやネガなど膨大な写真関係資料が残されていた。森館長は昨年2月、段ボール30箱、トラック1台分の資料を預かり、スタッフの手を借りて整理を始めた。
大きく伸ばしたものだったり、いわゆる写真店のサービス判サイズだったり、600点は下らない。未現像のフィルムも約200本もあった。半年近くかけて整理、分類した。1回では展示しきれない数のため、前期、後期に分けることにした。
森館長は「人のため、人が喜ぶことに対価を求めずにやる人でしたね。写真展の開催をお願いしても『俺はいいよ』って遠慮し、受付脇の狭いスペースに飾ってくれるだけでした」と振り返る。「皆さんには、そんな森さんが地元にこだわって写真を撮り続けたことを知ってほしいですね」と付け加えた。
各地のイベントでも足跡を残している。利根川と江戸川をつなぐ利根運河で開かれる農家や各団体による流山市の「うんがいい!朝市」(休止中)の名付け親であるという。「運河」に引っ掛けたネーミングだ。
我孫子市緑1丁目の香取神社で毎月第1土曜に開催する朝市「香取さまで会いましょう」、正月三が日の初詣客を迎えるイベントを企画の段階から下支えした。「兄貴」と呼んで慕う主催グループ「オキクルミ」の秋元佐予さんらは3月28日の雨の日曜、追悼展「アートと音楽のイベント・兄貴の時間」を開いた。
■写真上:故森かずおさんが好んだ「雨ざらし写真展」のように雨の日、境内で飾られた作品(我孫子市の香取神社)
境内に手賀沼、大師講などの大焼きした100点を超える写真を、交流のあったアーチストの書、彫刻、版画などの作品とともに展示した。カラー写真など1部にビニールカバーをかけたが「雨に強い」モノクロはそのままだった。見学者が希望すれば展示写真を持ち帰ってもらった。
■写真上:「兄貴の時間」の見学者には気に入った作品を持ち帰ってもらったため、所々にはがれた跡があった(我孫子市の香取神社)
秋元さんは「イベントが開催できるまでの体力や忍耐、人脈をほとんど兄貴がつくってくれた。兄貴が喜びそうなイベントにしたかった」という。
森さんは「雨ざらし写真展」などとして野外での写真展を好んで開催した。見学者が気に入った写真があると、その場で気前よくプレゼントした。そんな森さんの日頃に合わせたに「兄貴の時間」は追悼企画にふさわしいような気がした。
未現像の約200本のフィルムは、まだ手つかずのままだ。森館長や秋元さんらはこれを現像、プリントして展示する遺作展の第2弾を模索中だ。「兄貴の時間」や美術館会場には現像代を捻出しようと、募金箱が置かれている。さてどんな作品が眠っているのか。楽しみに待つファンは少なくない。
■写真上:「兄貴の時間」の看板。姉さんかぶりに長靴でカメラを肩に掛けた故森かずおさんの後ろ姿があった(我孫子市の香取神社)
(文・写真 Tokikazu)