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2月

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香取さまのウシ展


日程: 2021年1月27日~2月7日
場 所: 千葉県福祉ふれあいプラザ第2ギャラリー(我孫子市・けやきプラザ2階)
主 催: ボランティアグループ「オキクルミ」
入場料:無料



内山春雄のバードカービング展
「木彫りの鳥で野鳥を救おうとした男&我孫子の小学生211名の小鳥たち」


日程: 2021年2月5日~2月9日
場 所: 我孫子市民プラザギャラリー (あびこショッピングプラザ3階)
主 催:あびこショッピングプラザ
後 援:我孫子市
入場料:無料




本埜白鳥の郷


場 所: 千葉県印西市




香取さまのウシ展
干支にちなんだ作品ずらり

――書、絵画、置物、陶芸……丑年にちなんだ色んな作品が並んだ。我孫子市のJR我孫子駅南口にある千葉県福祉ふれあいプラザ第2ギャラリー(けやきプラザ2階)で開かれた「香取さまのウシ展」。30平方㍍ちょっとの会場の壁、床にちびっ子からお年寄りの「丑」「牛」がにぎにぎしい。

写真上:会場いっぱいに並ぶ丑年にちなんだ作品を楽しむ家族連れの市民

 

 

正月に「浦安の舞」などで初詣客を迎えたウシ展会場近くの香取神社で、清掃などのボランティアを続けるグループ「オキクルミ」が企画した。元々は2016(平成28)年から正月の三が日だけ、社務所で開いていた「干支展」。「三日間だけだと、出品者が見に来づらいし、もったいない」として、「子年」の昨年から同ギャラリーでも開催している。

 

 

写真:会場入り口の案内板

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「オキクルミ」の主宰者、秋元佐予さんは「社務所だと生活空間の中で来場者は身構えずに気楽に入って来られます。ギャラリーは無機質な空間ですが、白壁の中で作品が際立つ感じですね」との印象だ。

 

 

「作る」「見てもらう」「楽しむ」がコンセプト。神社の社務所で活動したり、習い事に来たりのプロアマ、年齢を問わない54人から計225点が集まった。

 

 

 

写真:壁際の床を飾るように並べられたオキクルミスタッフ手作りの「こけし」

 

 

 

愛らしいミニ縫いぐるみや置物、子どもたちの絵がある。「丑」「牛」とある四つ折りの書を開くと、中から牛の絵や正月のあいさつ文が出る「書アート」が楽しい。「書アート」を出品した中学1年の姉と会場に来た小学1年の女児は色鉛筆で絵を描いた。「牛が月を見ているところなんだけど、三日月が難しかった」

 

 

 

写真:作者の子どもたち。毎日のように顔を見せる子もいるそうだ(左)、小学1年の女児が色鉛筆で描いた「三日月をみる牛」(右)

 

 

 

吊るし雛のように吊るされて寄り添う張り子の牛、落花生に描かれた牛が虫のように木の棒をよじ登るアイデアには驚いた。三方にある壁の床際には大小こけしが113点。干支ではないが有名なこけし工場から材料を大量に仕入れ「オキクルミ」のスタッフが手作りした。

 

 

 

写真:ピーナッツに描かれた牛。虫のように群れ、木登りしているようだ(左)、吊し雛ならぬ「吊し牛」。寄り添うような姿が愛らしい(右)

 

 

 

壁に掛けられた書家の作品と打ったピンにかけた糸が幾何学的な模様を描き出す「糸かけ曼荼羅」のコラボに不思議な魅力を感じた。高さ約50㌢のヘチマに描かれた人気絶頂の「鬼滅の刃」の主人公もあった。

 

 

写真:「書アート」と「糸かけ曼荼羅」のコラボ作品

 

 

 

 

 

ヘチマをよく見ると疫病退散の「アマビエ」や牛もあった。話題の絵柄で引き付け、作者が意図するテーマをさりげなくアピールする新しい手法なのかも知れない、と思った。

 

 

写真:ヘチマに描かれた「鬼滅の刃」の主人公。よく見ると、疫病退散の「アマビエ」や牛が描かれていた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「社務所での展示を終えて数週間でギャラリーなので大変だけど、来場者の反応もいいし、何より自分が楽しいので気に入っています」と秋元さん。その言葉通り干支展が好きで、楽しむように赤基調のエスニックな色彩の牛も描いた。

 

 

 

 

写真:入場者に愛嬌をふりまくような置物の大小の牛(左)、書を習う児童・生徒の作品集(右)

 

 

(文・写真 Tokikazu)

バードカービング40年
続く野鳥彫刻家の挑戦

――野鳥彫刻家の内山春雄さん(71)=我孫子市在住=がバードカービング(野鳥彫刻)を始めて40年になる。先ごろ我孫子市民プラザ(あびこショッピングプラザ3階)で、作品展「木彫りの鳥で野鳥を救おうとした男&我孫子の小学生211名の小鳥たち」があった

 

写真上:会場いっぱいの作品を楽しむ入場者
 

会場の三方の壁際に置かれた机に作品が並んだ。40種以上いたというハワイのハワイミツスイが17種に激減した歴史を50作品と紙芝居にした自作の絵12点で紹介。アジアの鳥、オオマシコが祖先とされるハワイの野鳥の進化を2年半かけ、直径0.9㍍の系統樹にまとめた作品も見事だ。

 

内山春雄さん

写真上:2年半~3年かけて制作した野鳥の進化を表す円形の系統樹を背にした内山春雄さん

 

 

 

写真上:絶滅危惧種のヤンバルクイナ(左)、ハワイの野鳥の祖先とされるオオマシコ(右上)、鮮やかな色彩のハワイミツスイの一種(右下)

 

 

伊豆諸島のアホウドリ営巣地や都内のコアジサシ人工営巣地のデゴイ(模型のおとり)、生まれて最初に動くものを見て親と思うツルのため、長い口ばしの親に似せた飼育員用「ハンドパペット」も興味深かった。

 

 

写真上:ひなの飼育用にツルの親鳥に似せた「ハンドパペット」

 

 

フロア中央2か所のテーブルで同市立高野山、同我孫子第一の両小学校6年生がつくった小鳥計211点がそれぞれ放射状に展示された。スズメ、メジロ、オナガ、ツバメなどに交じって「空飛ぶ宝石」と呼ばれるカワセミ、小さめのキジもあった。

 

写真上:小学生の作品を熱心に見入る入場者(左)、小学生が作ったカラフルで色んな種類の小鳥。どれも力作だ(右上)、絶滅危惧種のコアジサシのデゴイ。都内の人工営巣地で活用されている(右下)

 

 

内山さんの指導を受けた子どもたちは2日間、延べ8時間をかけ、野鳥をインターネットや図鑑で調べ、下絵を描いた。材料は木目のない、長さ13㌢の柔らかな外材。前もってスズメ大に加工されたものを使い、専用のナイフで削り、水彩で色付けした。

 

 

写真上:小学生用に特注した刃物とあらかじめ加工し、作りやすくした材料

 

 

 

内山さんは岐阜市出身。1970年代、天然木材にくり抜いた絵柄を埋め込んで絵のようにする伝統工芸「木象嵌」(もくぞうがん)を学び、職人になった。今回の会場にはツルやカモなどをテーマにした作品9点が展示された。

 

写真:内山さんが手がけた鳥がモチーフの伝統工芸「木象嵌」

 

 

アメリカで流行していたバードカービングを80年代に愛鳥教育で採り入れようとした日本鳥類保護連盟(東京)の働きかけもあり、興味を持った。勉強のため、当時、都内にあった山階鳥類研究所に通い、ナフタリンの臭いがする会議室がいつしか仕事場となった。

 

 

絶滅したオガサワラマシコ、絶滅危惧種のヤンバルクイナ、トキなどの作品を全国の博物館などに提供するようになった。同研究所の我孫子移転に合わせて移住し、活動を続けて日本バードカービング界の第一人者になった。

 

 

「保護活動だったり、絶滅種の復元だったり、学校教育だったり。この40年、バードカービングの可能性を探ってきた。単なるアートだけでなく、サイエンスがくっついていないと、私のカービングではない」

 

 

内山さんは美しく、リアルに彫るだけでなく、保護活動に生かしたり、学校教育に役立てたりの多面的、複合的なバードカービングを強調する。

 

 

毎年11月、手賀沼周辺で開かれる鳥をテーマにした国内最大級の「ジャパンバードフェスティバル」を内山さんらの実行委員会が主催する。昨年はコロナ禍でオンライン開催となり、小学生の作品が発表できなかった。これを知った「あびこショッピングプラザ」が作品展を企画した。

 

 

2月12日、一昨年の同フェスタ2019が一般財団法人・地域活性化センター主催「第25回ふるさとイベント大賞」の大賞(内閣総理大臣賞)受賞が発表された。

 

 

 

 

 

 

(文・写真 Tokikazu)

 

春風に誘われ北帰行
印西の本埜白鳥の郷

――印西市笠神(旧本埜村)の水田にある「本埜白鳥の郷」に今冬も1千羽を超える白鳥がやってきた。今冬は昨年10月22日に5羽が観察され、その後、続々と飛来し、数千キロの長旅を癒すように翼を休めていた。
 

写真:夫婦?二羽が仲良く水面を蹴って飛び上がった(左)、見つめ合う2羽。仲むつましい姿が愛らしいカップル(右)

 

近所に住む印西市立本埜小学校の児童と地元住民の「本埜白鳥を守る会」が毎朝チェックしている。「立春」(2月3日)の翌日、関東に1951年の統計開始以来最も早く吹いた「春一番」に誘われるように北帰行が始まった。2月7~13日に700羽、同14日に300羽……。同19日朝の時点で残るのは37羽になった。

 

 

 

白鳥が最初に姿を見せたのは1992(平成4)年の冬。農業用排水路工事で一時的にできた水田の水たまりに6羽が飛来した。後に守る会の初代会長となった県鳥獣保護員の住民が苦労の末に餌付けに成功。地主の協力を得て3年後に守る会を結成し、白鳥を受け入れる6反(100㍍、60㍍四方)の「白鳥の郷」を整備した。

 

写真:「本埜白鳥を守る会」の案内板。熱い想いの説明がつづられている


 


守る会の活動で年々飛来数が増え、2000(同12)年以降、数百羽単位で増え続けた。05(同17)年に初めて1千羽を超え、有数の飛来地となった。会員が日に数回90~120㌔の古米などのえさを与えている。

 

 

近郷から大勢の見学者が訪れるようになった。コロナ禍の今年はマスク着用を求めたり、「密」を避けようと焼き芋などの販売を自粛したり。鳥インフルエンザも警戒し、消毒用の消石灰をいつもの倍以上まく気の遣いようだ。


写真:眺めたり、写真に収めたり。家族連れの見学者も多い。

 

 

 

2月13日午前に訪ねた時、数百羽が群れをなしていた。見学者のいる南側に近い場所で「クオー、クオー」と鳴きながら群れたり、頭を羽の中に入れて寝ていたり。あちらこちらで羽ばたきをする姿が見られた。

 

 

 

写真上:朝の日差しを浴び、時折、立ち上がるように体を伸ばして羽ばたく

 

 

 

時折、2~5羽のグループが群れから離れ、風向きを伺うように首をあちこちに振る仕草を見せる。先頭の1羽がスタートすると一斉に水面を滑走して羽ばたきながら飛び上がった。辺りを旋回し何処かへ飛び去った。

 

 

 

写真:風上に向けて水面をかけるように列をなして助走し、飛び去る一団

 

 

同じ日の夕方は午前とは逆の北側の畔際で群れをなし、まして甲高い鳴き声が日没近い田園に響いた。数羽のグループが駆け出し、夕焼け空に舞い上がった。

 

 

写真:夕方、見物客が見守る中で飛び立った

 

 

昨年の北帰行は3月6日が最終だったという。残る白鳥の旅立ちも近い。カメラと双眼鏡を首に掛けた守る会の会員は「今年も最後の1羽が飛び去るまで見守ります」と話した。

 

 

写真:夕焼け空を飛び回る群れ。白鳥の郷を旋回してから姿を消した

 

 

日中、大方が飛び去り、がらんとした郷で、羽ばたく白鳥のモニュメントが際立った。守る会の管理事務室に「北帰行のお知らせ」が貼ってあり「来シーズンもご支援よろしくお願いいたします」とのメッセージがあった。

 

 

写真:「白鳥の郷」で留守番をするかのようなモニュメント

 

 

近くの畦道には「冬の使者」を見送るように早春の花、紫のオオイヌノフグリ、ピンクのホトケノザが顔を出していた。

 

 

写真:オオイヌノフグリ(左)、ホトケノザ(右)

 

 

(文・写真 Tokikazu)