柏の土から生まれた郷土玩具のこころ~下総玩具展

 

取材・文 磯崎亜紀子 / 撮影 佐藤おりえ

下総玩具展


開催:2019年9月6日~11日
場所:あびこショッピングプラザ3F・あびこ市民プラザ
主催:手賀沼アート・ウォーク実行委員会、後援:我孫子市教育委員会


*シミズメガネも協賛させていただきました。

■「下総玩具」の作品はシミズメガネの運営サイトで詳しく閲覧できます。 

 

――柏駅西口のペデストリアンデッキ。側壁の足元近くにいくつものカラフルなお面が埋め込まれているのをご存知でしょうか。道行く人におどけた表情を見せる、七福神や動物など多様なモチーフの数々…。このお面を創作した人こそ、郷土玩具“下総玩具”の創始者・松本節太郎です。

柏西口のデッキのお面

9月6日(金)~11日(水)の6日間、あびこ市民プラザで開催された「下総玩具展」にて松本節太郎の作品約1,000点が公開されました。
開催期間中には、ギャラリーヌーベル代表取締役の鈴木昇さんによる講演も行われました。下総玩具の魅力を見出し、節太郎の唯一の友人でもあったという鈴木さん。会場を訪れた多くの方が、その話に熱心に聞き入る姿が見られました。「下総玩具展」で展示された数々の作品の魅力を、鈴木さんのお話とともにご紹介します。

下総玩具展入り口から正面のスペースで愛らしい表情を見せる少女の人形。ねんねこ半纏を身にまとい、その肩口からは一匹の茶色い猫がのぞいています。作品のタイトルは「めいわく」。
少し離れた所には「子守」という人形が展示されていました。これは母親が赤ちゃんをおぶった姿をしています。どうやら「めいわく」の少女は、母親が赤ちゃんをおぶっているのを見て、自分も同じことがしてみたくなり、猫を代わりにおぶってみたようです。 いきなり赤ちゃん代わりに背中におぶわれてしまった猫にとっては実に迷惑。タイト「めいわく」は猫の気持ちを代弁しているのです。
節太郎のものづくりは、まず物語を作ることから始まったと、鈴木さんは語ります。「めいわく」の人形も、まずこのようなストーリーが頭の中に浮かび、物語の登場人物が現実へと抜け出してきたかのように、節太郎の手によって可愛い人形の姿として生み出されたのです。

下総玩具展下総玩具展の会場には、手作りのぬくもりを感じさせる土製の人形やお面が所狭しと並んでいます。丸みを帯びた可愛らしい形、素朴な表情、鮮やかな彩色。会場を訪れた方々は作品ひとつひとつをゆっくりと鑑賞し、撮影が許可されているため丁寧に写真を撮る方の姿も見られました。



節太郎の作品は、張子と土を原材料に作られます。彩色は、貝殻を原料にした胡粉(ごふん)を用いた白地の上に、日本古来の顔料絵の具が使われています。地元・柏の土が使われ、郷土の自然の中から生まれた、まさに郷土玩具と呼ぶにふさわしい存在です。 作品のモチーフは、七福神や天神様、ユーモラスな表情の鬼たち、猫や犬、ねずみなどの小動物、そして美しい着物を着た花魁たち。どの作品も豊かな表情をたたえ、見る人々を魅了しています。


素朴で愛らしい、温かな表情を浮かべた人形の数々。このような作品を作った節太郎は、どのような人物だったのか。作品を見た人は誰しも想像をめぐらせたことでしょう。
講演で鈴木さんが語る節太郎は、明治生まれらしい気骨のある人だったそうです。そして実は頑固で人付き合いを好まない、難しい気性だったとか。可愛い人形たちの表情からはやや意外な気もします。

 

鈴木社長の講演

一方、ものづくりにおいては、常に「貪欲で純粋な人だった」といいます。例えば、会場に飾られた「おかめ」「ひょっとこ」のお面。お馴染みのお面ではありますが、節太郎のそれは目がとても細い線で描かれています。描くときにためらいがあってはとても表現できない細い線。なかなか描けるものではありません。そこに節太郎の職人としての熟練度が垣間見えます。
作品を作り、売る――もとは生活のためでした。しかし作りたいものを作り玩具好きの人に格安で分ける一方で、例えば札束をチラつかせるような尊大な態度の客は追い返してしまうこともあったそうです。そんな純粋な人柄が、人形の屈託のない表情に現れているのでしょうか。


下総玩具だるま節太郎の作品を、鈴木さんは「いわゆる美人が少ないんですよ」と語ります。節太郎の人形たちは、人間の外面ではなく内面を形として表出させたものと見ることができるそうです。「だからどんどん数が増えていく。人間の内面の感情は無限にあるのだから。」
節太郎の人形たちを見つめていると、不思議に懐かしい思いにとらわれます。その作品群は、あるいは、すべての人の心の写し鏡のような存在なのかもしれません。

節太郎の郷土玩具は主に戦後の東京の路傍で売られていました。作品をリュックに詰めて、柏から都内の各所まで徒歩で移動する日々。市井の人々に愛された節太郎の作品群でしたが、ある日作者不詳のまま、ある百貨店のお正月チラシのデザインに使われたことがあったそうです。まだ著作権などが厳しくなかった時分のことでもあり、当の節太郎とそのご家族は「お父さんの作品が載ってる!」とびっくりされたとか。デザインを生業とする人の審美眼にも叶ったという、作品の質の高さを物語るエピソードです。
事実、その作品は評価され、新宿の百貨店での郷土玩具展への出品を薦められたり、即売会での実演を促されたりと、広く作品を広める機会がありました。しかし節太郎は自らの作品を「大道芸人と同じ露店の際物売り」と評し、いわゆる大量注文のようなものも断り、脚光を浴びることから退く姿勢をとったのです。

下総玩具雨だれ会場の一隅に並べられた、節太郎晩年の作品「雨だれ」。赤・青・黄とカラフルに塗られ、微笑みを浮かべる小さなしずく達。彩色されていない未完のものも含め沢山の「雨だれ」が展示されています。100歳を迎え、「人生なんて雨だれが軒先から落っこちて地面に着くまでの雨だれのようなもの」という思いから作り続けたとか。「雨だれ」を製作していた当時の節太郎を、鈴木さんは懐かし気に語ります。100歳を越えてもなお創作を続ける一方で、「私の命が滅びるとき、私の全人形の型も一切壊してもらう」とも言っていた節太郎。

しかし鈴木さんは、節太郎亡き後もその作品を守り続け、今日もなお多くの人々の目を楽しませる機会を作ってくれています。節太郎の下総玩具は、地元・柏ではあまり知られていない一方で、県外、それも大阪や九州などの遠方から鑑賞に訪れる人も少なくないのだとか。そのような遠方の方々は、インターネットで下総玩具の存在を知り、鈴木さんのギャラリーを訪ねてこられるそうです。 節太郎は、この世からテレビと電話と車がなくなればいい、その三つがなくなると社会はもっと良くなると批判をしていました。「テレビや電話どころか、今のインターネットなんて知ったら、もう大変でしょうね」と鈴木さん。インターネットが、自らの作品を広く世に知らしめているのを見たら、節太郎は苦笑いしただろうか。こんなものはいらないんだと一蹴しただろうか――。ふと、想像を巡らせてみるのも一興でしょう。

 

下総玩具会場の様子好評を博した今回の「下総玩具展」。訪れる方の多くが、熱心に作品に見入り、長い時間をかけて会場を回られていたのが印象的でした。人形たちの柔和な表情は、多くの方の心に深い余韻を残したことと思います。節太郎の心は、その作品の中に、今日もなお息づいているのだと実感させる展示会でした。

 

■「下総玩具」の作品はシミズメガネの運営サイトで詳しく閲覧できます。