世界を魅了したジャポニスムの精緻~川瀬巴水

 

取材・文 磯崎亜紀子 / 撮影 佐藤おりえ

川瀬巴水展


開催:2019年6月22日~30日
場所:あびこショッピングプラザ3F・あびこ市民プラザ
主催:手賀沼アート・ウォーク実行委員会、我孫子市教育委員会


*シミズメガネも協賛させていただきました。

――令和元年6月22日から30日の9日間、あびこ市民プラザにて『川瀬巴水展』が開催されました。かつて日本橋高島屋での開催時には一日一万人の来場者があったという注目の浮世絵師の作品展であり、地元の名所・手賀沼が描かれたポスタービジュアルも注目を集め、大勢の方が会場を訪れました。

巴水展エントランス「最後の浮世絵師」と称される川瀬巴水は、江戸時代の浮世絵版画を近代に復興し、大正新版画として数多くの作品を残した絵師です。その活動は大正期から昭和初期、絶筆となった昭和32年までの長きにわたりました。
折しも、関東大震災~太平洋戦争という大きな動乱のあった時代。しかし巴水の版画世界に広がる情景は、静謐そのものであり、それが実に印象的でした。静寂と闇、そして光…会場に並ぶ巴水の画の第一印象です。とはいえそこに冷たさはなく、どこか懐かしい情に満ちたものであったことも書き添えなくてはなりません。

巴水展作品まず目をひくのは、関東大震災後の東京を描いた『東京二十景』。しかしそれは、わずかに灯りの残る東京の街を海岸で見つめる小さな犬の姿であったり(『明石町の雨後』)、あるいは夜闇に大きくそびえる老松と、その背後で小さく光を放つ農家の角窓であったりします(『馬込の月』)。巴水の画には多くの人物は登場しません。風景の一隅に一人か二人、静かに背を向けているだけですが、確かに人々の息遣いのようなものが伝わってくるのは構成の妙でしょうか。

作品で多数を占めるのは東京の風景を描いたものですが、会場には『旅みやげ』『日本風景集』など、北海道から九州まで各地を描いた作品も多く並びます。自由に旅をすることが出来る時代であったことは何よりの賜物でしょう。巴水は日本全国を旅して、その風景を描き続けてきた人でもありました。
作品の中に日本三名橋の一つ・錦帯橋(山口県)があります。錦帯橋は江戸時代の葛飾北斎・歌川広重も好んで描いた名勝ですが、北斎や広重は実際の錦帯橋をその目でみたことはありませんでした。北斎らが描いた美しいアーチを幾重にも連ねる錦帯橋に対し、巴水のそれは、下から見上げたどっしりとした石積の橋脚、精巧に組まれた木造のアーチ橋が大きく描かれています。その目で見た景色ならではの圧倒的な存在感に魅了されます(『錦帯橋の春宵』)。

ヌーベル鈴木氏今回の作品展では、ギャラリーヌーベル代表取締役・国際新版画協会会長を務める鈴木昇さんによる講演会が3日間にわたって行われました。巴水の養女・文子さんとも親交があったという鈴木さんは、100人近い聴衆に巴水の世界の魅力を熱弁。今回の会場は、通常の美術館より照明もやや明るく、作品との距離が近く、ゆっくりと鑑賞することが出来ましたが、鈴木さんは、これを「大変貴重な機会」と語ります。

暗闇を飛ぶ蛍を描いた『大宮見沼川』では、蛍の周囲は一見真っ暗のようでありながら、近くでよく見ると草の葉末に至るまで緻密に描かれていることがわかります。見えない風景を講演の様子繊細に描写し、そこを大胆に暗闇で覆いながらわずかに浮かぶ灯りを際立たせる、明暗の対比。闇の中に息づく草木の姿、明るい光を瞬かせる蛍の飛影をつぶさに見ることができるのは、この会場ならではの贅沢であったかもしれません。 巴水の作品は、「雨・雪・夜」を描いたものが七割を占めると鈴木さんは語ります。展示作品に目を転じれば、そこには様々な姿の雨や雪があります。たとえば『雨の清水寺』では清水寺の舞台にはらはらと降る京都の時雨が、『修善寺の雨』では温泉街の街並みが霞むような激しい驟雨が描かれます。絶え間ない雨音、冷たい雨しぶきの感触までが伝わるかのような臨場感。

講演の様子そうした巴水の画風は、当時流行の“ジャポニスム”を求めて来日した多くの外国人を魅了し、今なお日本国内以上に海外で高く評価されているそうです。米Apple社の創業者スティーブ・ジョブズ氏も、巴水の熱心なコレクターの一人です。会場では、新版画を用いて映像技術のデモンストレーションを行うジョブズ氏の写真ほか、巴水の作品を使った昭和7年の『JAPAN』ポスター、日本近代版画の屈指の収集家ロバート・ムラーが巴水に魅了されるきっかけとなった作品『清洲橋』なども展示されました。

講演の様子今回、会場のメインの展示となったのは、2枚の『手賀沼』です。同じ版木から刷られていますが、刷られた時期が異なり、微妙な色の相違が見られます。版画では珍しいことではないものの、2枚を並べて鑑賞できる機会はこれが初めてとのこと。鈴木さんは、「例えば夕暮れと一口に言っても、イメージする色は人によってさまざま」と、版元の刷り方によって異なる表情を見せることもある版画の面白さを語りました。

『手賀沼』が描かれたのは昭和5年、連作『東京二十景』と同じ頃になります。さらに会場を進むと昭和11年頃に描かれた連作『新東京百景』が並びます。今日でもその姿を見ることの出来る近代的な建築物、活気ある洋装の人々が描かれ、新しい時代の躍動感に満ちています。絵の色彩も明るくモダンな印象に変化しているように感じました。 水戸や潮来、袋田の滝など茨城県の風景が描かれた作品は昭和20年以降の製作です。敗戦後も筆を休ませることなく描き続けた日本の風景は、やはり変わらぬ穏やかな美しい姿を見せています。

講演の様子そして昭和32年、巴水の絶筆となったのが『平泉金色堂』です。下絵・色付は終えていたものの、その完成を見ることなくこの世を去った作品でした。
隣には昭和10年に描かれた『平泉中尊寺金色堂』が展示されています。描かれた場所も角度も同じ二つの作品。昭和10年に描かれたのは夜闇の中の無人の金色堂でしたが、絶筆のそれは一面真っ白に覆われた雪景色であり、中央には一人の雲水の姿が描かれています。この作品は雲水の位置がなかなか決まらず、原画が2、3回描き直されたそうです。
金色堂の前の階段を上がり、ふと見渡すように笠を掲げようとする雲水の姿。それは巴水その人の自画像であったか、その胸中に去来したものは何か、見る私たちの胸に深く余韻を残す作品でした。


 

講演の様子鈴木さんの講演を聞き、木版画150点を鑑賞して会場を後にした方々は、会場の外で巴水の画のポストカードなどを手に取っていました。少しでもこの絵画世界を身近に置いてみたい、そう感じられた方も多かったのでしょう。好評を博した巴水展は、最終日まで大変多くの入場者を迎えられたそうです。このような素晴らしい機会が、今後も続いてくれることを願ってやみません。