嘉納治五郎別荘跡地に記念像
愛でた手賀沼を眺め続ける
■写真:建立関係者が除幕した嘉納の像
手賀沼公園から我孫子市生涯学習センター「アビスタ」入り口前を通り、にぎやかな「手賀沼ふれあいライン」を渡る。右側の細い道に入ると一転、静かな住宅街になった。すぐ左側に「三樹荘」「嘉納治五郎別荘跡」の案内板がある。
■写真:うっそうとした木々が石段を囲う天神坂
案内に従って左折すると石段があり「天神坂」という左カーブの上り坂。四十三段を登り切ると、右側に我孫子市が「天神山緑地」として保存する嘉納の別荘跡地。そのすぐ西側には嘉納の甥で思想家柳宗悦の別荘があった所だ。敷地に三本のシイの木があったことから嘉納が「三樹荘」と名づけた。
嘉納と我孫子市のつながりは、2019年10月の本欄「人と街の記憶」で記しているが、1911(明治44)年に土地を購入し、別荘「臨湖閣」を建てた。亡くなる直前まで訪れ、家族も1969(昭和44)年ごろまで住んでいたという。
2800平方㍍の跡地に建物は残っていない。嘉納が眺めていたであろう、当時の手賀沼方面の写真入り案内板、嘉納が講演した我孫子尋常小学校(現・我孫子市立我孫子第一小学校)に贈った2種類の書が飾られたあずま屋、季節の花々にベンチ……。意外と殺風景だったが、嘉納の像が建って主が戻ってきた感じか。
■写真上:嘉納が当時見ていた手賀沼方面がパネルで紹介されている
■写真上:別荘跡地は緑であふれている(左)、季節の花が像を囲んでいた(右)
90㌢四方で高さ80㌢の台座に高さ214㌢の像。講道館や筑波大学などゆかりの5カ所にあるものと同じだ。「嘉納が我孫子で過ごしたことを後世に伝え、残したい」。文化を守る会が2年掛かりで市民らに呼びかけ、450人から浄財が集まった。像の台座に寄付者名が刻まれている。
■写真上:像は手賀沼を眺めるように立つ
守る会や市は地元の「新名所」として期待している。像の嘉納は移ろう季節の草花に囲まれ、宅地化が進んで今は遠くなった手賀沼を見つめたままだ。
■写真:時を経た手賀沼を見て何を想う?
(文・写真 Tokikazu)