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10月

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嘉納治五郎と手賀沼 
幻のオリンピックをめぐって

 

開催:2019年7月9日~10月6日

場所:杉村楚人冠記念館
我孫子市緑2-5-5

主催:同館


秋風に揺れるコスモス
四季の彩り艶やかに

 

 

柏・あけぼの山農業公園


県内最古の煉瓦水門
生活に溶け込む明治の遺産

 

 

松戸・小山樋門


手賀沼エコマラソン

 

開催:2019年10月27日

場所:柏ふるさと公園

主催:柏市・我孫子市・柏市教育委員会・我孫子市教育委員会・手賀沼エコマラソン実行委員会・柏市陸上競技協会・我孫子市陸上競技協会


我孫子・手賀沼を愛した嘉納治五郎

杉村楚人記念館嘉納治五郎展

――NHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~」で、役所広司さん演じる嘉納治五郎(1860~1938)は、戦前の東京五輪誘致に持てる情熱をつぎ込み、志半ばで病に倒れる姿が印象的だった。講道館柔道の創始者であり「日本スポーツの父」と呼ばれる生涯が描かれている。写真:展示品を説明する学芸員の髙木大祐さん


英語が堪能で国際オリンピック委員会(IOC)委員となった嘉納は、1936(昭和11)年7月のIOCベルリン総会で、4年後の第12回五輪を東京で開くことを決定づけた人物だ。実は、嘉納は我孫子市とは浅からぬ縁がある。

杉村楚人冠記念館同市の杉村楚人冠記念館が「嘉納治五郎と手賀沼・幻の東京オリンピックをめぐって」と題した企画展で直筆の手紙などを展示し、そのゆかりを紹介した。


写真:大正時代の雰囲気を醸す記念館内の和室

 

 

 

嘉納は1911(明治44)年、手賀沼を見下ろす天神山と呼ばれる高台に別荘を建てた。現在は緑地として保存されているが、隣接地に甥で思想家の柳宗悦も移住し、小説家の志賀直哉、武者小路実篤ら白樺派と呼ばれる文人らが集まるきっかけになった。

 

 

下総玩具別荘から見た手賀沼の写真に「我孫子天神山より安美湖(あびこ)の眺望」との説明を付けた絵葉書を、近所に別荘を構えていたジャーナリストの杉村や西洋古代史学者の村川堅固らと作るほど、手賀沼にぞっこんだった。

写真:嘉納治五郎が「安美湖」(あびこ)と称して愛でた手賀沼

 

 

嘉納治五郎の手紙ただ別荘族然としているのではなく、我孫子町長、校長、区長、消防署長ら「長」のつく町民と座談会をつくり、町の発展についてビールを飲みながら話し合った。杉村の随筆集「続湖畔吟」に「村の会」として記され、嘉納が出席の返事を書いた葉書も残っている。

 

写真:住民との「座談会」に出席連絡する嘉納治五郎のはがき(1931〈昭和6〉年1月)

 

 

 

 

嘉納や杉村らがイメージした我孫子の発展は、手賀沼の景観や名産品を生かし東京から人を呼ぶことだった。しかし、当時の国、農商務省は手賀沼干拓事業を構想し、嘉納らは「発展の障害」として反対運動に乗り出す。村川と電話で情報交換し、嘉納の別荘で対策の話し合いを計画する様子が、杉村宛の1926(大正15)年11月2日付手紙でわかる。


柏市美術会展

写真:杉村楚人冠に宛て、国の手賀沼干拓計画への対策会議を連絡する嘉納治五郎の手紙(1926〈大正15〉年11月)

 

 

 

 

東京五輪が決まると、我孫子町は嘉納に祝電を打ち、座談会の折、漕艇競技などの手賀沼誘致を陳情。「個人として極力協力する」と語ったという伝聞記事が1936(昭和11)年8月2日付の新聞に載った。事実、手賀沼を愛でる嘉納は、我孫子町とともに東京五輪の漕艇競技会場を手賀沼にしようと動いたようだ。

 

我孫子尋常小学校(現・我孫子市立我孫子第一小学校)沿革誌に同年12月、嘉納が「第12回オリンピック大会招致の由来と国民の覚悟」のテーマで児童、父母別々の講演会を開いた記録が残る。同記念館学芸員の髙木大祐さんは「講演会後、嘉納は大会組織委員会に出席しています。五輪への情熱もさることながら、我孫子のために時間をとっての講演会。我孫子への思い入れの強さがわかる」と解説した。

 

 

展示会2漕艇競技は最終的に埼玉県戸田村に決まる数日前、嘉納が町役場に電話をいれる。町長とともに誘致運動に協力してきた東京帝大漕艇部出身で漕艇競技界に人脈を持つ布佐町相島新田開拓地主の井上家跡継ぎ、井上武らに上京を求めた。その内容を記した1937(昭和12)年5月13日付の手紙が井上家に残っていた。


写真:旧井上家で見つかった初公開資料。五輪会場問題で嘉納治五郎から電話を受け、町長とともに上京を要請する我孫子市助役の手紙(1937〈昭和12〉年5月)

 

手紙は初公開というが、髙木学芸員は「嘉納が漕艇の手賀沼誘致に協力するという新聞記事は伝聞にすぎない。この手紙は実際に協力していたことを示す内容で、嘉納は最後まで世話を焼いていたことがわかる」という。


東京五輪が決まった翌年、日中戦争が勃発して戦時色が強まり、国内外で返上論が湧き上がる。それでも嘉納は「東京五輪はやる」として1938(昭和13)年3月のIOCカイロ総会で熱弁をふるい、東京開催を確認した。

 

当時の日本体育協会会長に宛てた同年4月4日付の手紙(国会図書館資料)で「会議は好都合に終了しましたが、将来いろいろな問題に行き着くことになり、今日から切り抜け方に苦慮しております」との心境を綴っている。

嘉納治五郎この1か月後、日本に戻る船上で風邪をこじらせて亡くなり、死後2か月で開催返上が政府決定された。

嘉納の東京五輪は幻に終わったが、来年の2020年には1964年に次ぐ2回目の東京五輪が開催される。奇しくも嘉納生誕160周年と重なり、我孫子市民グループ「我孫子の文化を守る会」が別荘跡地に銅像建立を計画している。

嘉納が愛してやまなかった今の我孫子、柏両市の手賀沼湖畔は、五輪聖火リレーのルートに選ばれ、来年7月4日に聖火が走る。偶然とは思えない、嘉納との縁を感じざるを得ない。

 

 

写真上:嘉納治五郎(1860~1938)(ウィキペディアから) 

 

 

 

杉村楚人冠記念館は杉村が1912(明治45)年に建てた別荘で、移住した24(大正13)年から亡くなる45(昭和20)年まで過ごした母屋、茶室など4棟で構成する我孫子市指定文化財。JR我孫子駅南口から徒歩約10分の住宅街の一角で、季節の花が咲く5200平方㍍の邸園とともに残り、当時の文人邸宅の面影をとどめている。

 

杉村楚人冠

 

写真:杉村楚人冠記念館の案内板、正門、邸園

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真下:杉村楚人冠記念館邸園の季節の花と石灯篭、イガグリ

杉村楚人冠



 

 

 

(文・写真 Tokikazu)

秋風に揺れるコスモス
四季の彩り艶やかに~柏・あけぼの山農業公園

 

――♪淡紅の秋桜が秋の日の 何気ない日溜まりに揺れている♪……。どこからとなく、山口百恵さんのヒット曲「秋桜(コスモス)」が聞こえてくるような気がした。

あけぼの山のコスモス台風前の晴天の朝、柏市布施のあけぼの山農業公園のコスモス畑を歩いていた時のことだ。秋の優しい日差しの中で、ピンク、紫、白、オレンジなどカラフルな花が寄り添い、秋風に揺れていた。曲の情景そのままだった。

 

 

 

 

 

柏市制40周年の1994(平成6)年に開園した同公園は、季節の花々が顔を見せる。春の梅、桜から始まってシバザクラ、ツツジ、ハナショウブ、アジサイ、スイレン、ハス……と、艶やかに四季を演出する。

 

 

柏まつり公園のシンボルとなった風車周辺の畑では、季節に合わせて花が植え替えられるので、なかなか見応えがあり、人気だ。4月のチューリップ、5月のポピー、7月からは背の高いヒマワリが場所を占める。コスモスは8月にヒマワリに代えて植えられたという。

 
 

 

あけぼの山の花

 

 

2ヘクタールを超える畑のコスモスは、台風で多くの茎が倒れたが、それでもシャッターを切る写真愛好家や仲良く手をつないだカップルなどで見物人が絶えない。

 

 

柏まつり よく見ると、所々に場違いのようなヒマワリが咲いている。植え替えの際、畑に残った種が残暑続きの中、コスモスと一緒に育って開花したらしい。

 

猛暑だった夏の名残のようでもある。

 

11月からは来春のチューリップ畑に「変身」させるための作業に入るそうだ。

 

 

(文・写真 Tokikazu)

 
 

県内最古の煉瓦水門
生活に溶け込む明治の遺産~松戸・小山樋門

 

――松戸市小山を流れる坂川に「小山樋門」(こやまひもん)という煉瓦(れんが)造りの水門がある。今は水門の役目を終え、川をまたぐ県道松戸―野田線に架かる小山樋門橋として利用されている。煉瓦の3連アーチの見た目から、地元では「めがね橋」とも「煉瓦橋」とも呼ばれている。

あけぼの山のコスモス1898(明治31)年に建設された長さ約13メートル、幅約8・5メートルの水門。明治期に建てられた構造物に多いイギリス式と呼ばれる煉瓦の積み方だ。千葉県内に現存する煉瓦造り水門の中では最も古い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

将来にわたって残してほしい歴史的構造物を顕彰する公益社団法人・土木学会によって2016(平成28)年度の「推奨土木遺産」に認定された。

 

写真:公益社団法人土木学会「奨励土木遺産」認定の記念碑

 

 

 

 

 

 

 

 

西側を流れる江戸川の支流となる坂川は、大雨で増水すると江戸川が逆流してあふれることもあり、かつては「逆川」と呼ばれたという。逆流を防ぎ、周囲を洪水から守るために設けられた水門らしい。

 

 

柏まつり真上からみると、アーチ両脇の出っ張りに長い溝がある。今はなきゲートが設置されていた跡なのかも知れない。

 

 

 

 

 

近くの高台には江戸幕府最後の将軍、徳川慶喜の弟、徳川昭武が1884(明治17)年に建て、半生を過ごした戸定邸があり、慶喜もたびたび訪れた。水門から下流すぐの右岸に慶喜が1905(同38)年4月に撮った川の写真の記念碑が立っている。ゆったり流れる川と洗い物をする住民が写っており「あなたも 慶喜公気分」という説明文が付いていた。

 

 

あけぼの山の花

写真:徳川慶喜が明治末期に撮影した川の流れ(左)、同じ場所にある記念碑(右)
 左カーブは当時のままだ。

 

水門の上を路線バスや通勤のマイカーが走り、併設の歩道を自転車や歩行者が利用する。岸辺で咲く赤や紫、ピンクの野草、枯れ枝を水面に伸ばすサクラ、咲き終わったヒガンバナの茎……。日常の景色の中に明治の遺産が溶け込んでいる。

 

 

柏まつり

 

(文・写真 Tokikazu)

 

快晴の下、市民ランナー9000人
ハーフマラソンに挑む

手賀沼エコマラソン

第25回手賀沼エコマラソン(柏市、我孫子市など主催)が10月27日、柏ふるさと公園を起点に手賀沼を周回するハーフマラソンコース(21.0975km)で行われ、約9000人の市民ランナーが参加した。開会式では今回の台風19号や大雨での犠牲者に黙とうし、「大会を無事開催できたのも治水のおかげ。手賀沼は水質浄化の環境問題だけでなく、治水についても広く考えるきっかけになれば」と大会会長の星野順一郎我孫子市長が挨拶した。


今大会には、お正月の楽しみ第96回箱根駅伝に出場する中央学院大学陸上競技部(18年連続21回目)と、今年の全日本実業団女子駅伝で上位を狙う積水化学女子陸上部のメンバーが招待選手として参加、ペースメーカーを務めた。 スタート地点や沿道には大勢の観客が詰めかけ、市民ランナーに大きな声援を送り大会を盛り上げた。

杉村楚人冠記念館スタート地点で、ウォーミングアップ中の都内から参加の会社員・山浦総一郎さんは、「今年で2回目の参加。フラットで、景色も良いのでとても走りやすいです。今日は自己新記録をめざして頑張ります!地元の皆さんの応援も力になります。家族も応援に来てくれています。二歳の息子にゴールを見て欲しいです」と意気込みを話してくれた。


写真:スタート直前の山浦さん

 

 

 

 

杉村楚人冠記念館ゴール地点では、見事完走した吉木拓さん(柏市・会社員)が「昨年より20分タイムを縮められてうれしい。このコースは走っていて気持ちいいですよ」と満足げ。

ご夫婦で参加した堀口秀暁さん、三三子さん(鎌ケ谷市)は、「今日は1分ぐらい奥さんに負けました」「マラソンは体調、体型の維持にいいですよ」と楽しそうに話してくれた。


 

入賞者は次の通り(敬称略)
【男子総合】①三野貴史②佐藤直也③松井俊介④高橋幸二⑤土谷和貴⑥小寺隆文
【女子総合】①ワイリム・スーサン②松本恭子③永尾薫④瀧波美緒⑤下平麿利子⑥斎藤絵美

 

写真下:楽しそうにフィニッシュを迎える市民ランナーのみなさん


杉村楚人冠

(K.SUGIYAMA 記)

 
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