――ふんわりと鼻をくすぐる、香ばしくて懐かしい匂い。
刺身に、煮物に、焼き物にと、日本の食卓には欠かせない調味料・しょう油。その身近な調味料を「絵の具」にして、筆を走らせるアーティストがいる。
柏生まれ柏育ちの松本多恵子さんは、あるときはトールペイントやデコパージュの作家、あるときは写真家、あるときは「しょう油アーティスト」と、多方面で活躍している。作品だけでなく、自分の靴やカバンにも絵を描くなど、まるで常に作品と一体となって生活しているかのようだ。
松本さんは、どうやって「しょう油アート」という新しい表現方法を見出したのか、そしてなぜ、これほど幅広い表現ができるのか。今回は、松本さんと縁深いカフェ・ユニオさん(柏市桜台)で、松本さんのさまざまな転機や創作の原点、そして「しょう油の理由」をうかがった。
しょう油アートとは?
- そもそも「しょう油アート」の絵とは、どのような方法で描くのでしょうか?
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松本 ちょうどワークショップ用の道具があるので、実際にやってみましょう。綿棒や割り箸の筆やスタンプ、普通の筆など、道具は何でも構いません。パレットがわりには、お弁当用のシリコンカップを使います。洗って何度も使えるし、コンパクトなので便利です。濃度を調整するために、お水も用意しておきます。用紙は、水彩用の画用紙を使います。
■写真:しょう油でサラサラと描かれたチューリップの絵
- しょう油は、どこのブランドのものでもいいんですか?
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松本 何でも大丈夫です。私はキッコーマンを使っていますが、そもそも、しょう油以外にもワインやレモン汁でも描けます。コーヒーでも描けます。ドリップコーヒーだと色が薄いので、重ね塗りをしたほうがいいですね。インスタントコーヒーを濃く出して使えば、もっと色が濃くなります。あとは、焦がし具合で色が変わってきます。
- えっ。絵を「焦がす」んですか?
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松本 はい。エンボスヒーターといって、140度くらいまで温められるドライヤーに似た機械を使って、あぶり出しのような要領で焦がします。強く焦がしたところは色が濃く出てきます。これも実際に、やってみますね。
■写真:エンボスヒーターで焦がす(乾かす)と、しょう油の香りがふんわりと漂う。
- 描くだけではなくて、焦がすことで仕上がるんですね。ところで、しょう油には、画材としてはどういった特徴があるのでしょうか?
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松本 五感のうち、音以外の感覚すべてに関係するというところでしょうか。絵の中でしょう油が焦げているところは、乾かしてあっても、触ってみるとちょっとベタベタとするんですね。匂いもある。そして、しょう油だから、もし口に入っても安全です。それが、普通の絵の具とは違うところですね。ワークショップに来た方にも「やってみるまでは絵の具の代わりにしょう油を使うだけだ、という感覚だったけれど、全然違う。これは、やってみないと分からない」と言われましたね。
- それにしても、こんなに短時間で描けてしまうんですね。驚きました。
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松本 速いですか?(笑)でも、主婦は時間がないので、早く描かないと1日がすぐ終わっちゃうんですよね。運動神経みたいなもので、絵を習っていたときの筆使いを手が覚えているので、描くときにはあまり考え込んだり迷ったりしないかもしれません。
■写真:松本さんが取材中に描いてくれた作品。左から、しょう油、ワイン、コーヒーで描かれている。
松本 実は、素材ありきというよりも「気持ち」の方が大きいんです。以前クラフトの会社にいたとき、プロデューサーさんから「何がやりたいか」「どんな素材が使いたいか」を用紙に書き出すように言われたんですね。それで、ものすごく考え抜いたんです。「幸せは身近なところにも見つかるんだ」ということを伝えたかったので、「身近にあるもの」「どんな家庭にもあるもの」「吸い込んでも大丈夫で、安全なもの」「普段使いのタオルでも拭けるもの」――と考えて、パッとひらめいたのが「しょう油」だったんです。しょう油だったら、貧乏でもお金持ちでも関係なく家にあるものだし、小さな子どもからお年寄りまで誰でも使えますよね。場所も選ばない。ベッドの上でもできますから。
それで、初めて描いたのが、2016年。居酒屋さんや、看板を描かせてもらった「カフェ・ユニオ」さんで、小皿のしょう油と割り箸を使って描き始めたのがきっかけでした。
松本 私の人生っていつもそうなんですが、全部、人からのお誘いで実現したことなんですよね。たとえば、「Studio WUU」さんでのイベント「2018年ひなた時間~しょうゆのにおいと、夕焼けのうた~」(2018年1月3日〜7日)
(参考URL:https://www.facebook.com/events/1930220257241146/)もその一つです。最初のきっかけは、日本糀文化協会代表理事の大瀬由生子さんが、facebookでしょう油アートを紹介してくださったことです。その紹介記事を、柏を中心に活動している、ひなたなほこさん(シンガーソングライター)が見て、「アートラインかしわ」の「カフェ・ユニオ」さんでの展示中に、オファーをくださったんです。「WUU」さんでは奥さんに声をかけてもらって写真展をやったこともあります(注1)。自分から言い出して開催することはほとんど無くて、ワークショップも展示もイベントも、人から「やってみない?」と言われて始めて「やります!」と手を挙げるんですよ。だから、とても恵まれているなあ、と思います。
注1:STUDIO WUUさんではミュージック・ホールの壁を「壁ギャラリー」として、さまざまなアーティストさんに提供している。当ミュージアムの対談「音と絵、響き合う場所 Studio WUU」でもその取り組みをご紹介した。こちらからご覧いただけます。
手づくりの家系に生まれて
- 松本さんは、小さい頃から、もの作りはお好きだったんですか?
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松本 ぬり絵は好きだったのと、女の子の絵なんかはよく描いていましたし、小学生の時には校長室に絵を飾ってもらったという記憶はあります。でも、私は子どもの頃からずっと散歩が好きで、あちこちフラフラと歩いていたので、周りは誰も私が絵を描くとは思っていなかったみたいです。他には、高校の選択授業で美術を取っていたのと、短大の造形の授業で声をかけられて、美術部に入ったくらいでしたね。中学や高校の同級生には、私が「絵を描いている」と言うと「えっ!?」と驚かれます。
ただ、母も父も自分で物を作るのが上手でしたね。母は文化服装学院の出で、私の服はいつも縫ってくれましたし、バレーボールで遊ぶときは家の前の道路にその場でネットをつけてくれたこともあります。父も、ナイフの柄を自分で作ってしまう人で、昔から器用でしたね。それから、兄も折り紙がすごく上手だったのを覚えています。私自身は、母がいつも家で内職をしていたので、その手伝いをしてコサージュなんかを作っているうちに、手先が器用になったのかもしれません。 - 手づくりの得意なご家庭だったんですね。松本さんご自身、絵だけではなく本当に色々な創作をなさっていますよね。
- 写真としょう油アートの方、というイメージだったんですが、トールペイントやクラフトもなさるんですね。まさに「なんでもあり」ですね。
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松本 トールペイントやデコパージュ(注2)は、講座で教えていたこともあります。今は自宅で小さな教室をしていますが、特定の「何か」の教室というわけではなくて、生徒さんと一緒に毎回「こんなもの作ってみたい」「こんなの楽しそう」と言いながら、いろんなものを作ります。
注2:デコパージュ 手芸の一種で、包装紙やペーパーナプキンなどの柄や模様を切り取って、雑貨などに貼る技法のこと。
- ご自分で絵を本格的に始められたのは何がきっかけだったのでしょう?
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松本 子どもを産んだあと、母から「普通の主婦になっちゃいけない。子どもの面倒は見るから何か習いに行きなさい」と言われて、ロマン・ドールや、トールペイントを習い始めたんですね。ほかには「いしど画材」で森岡純先生に4年間ほど絵を習ったこともあります。
- 松本さんが、作品に込めている思いはどんなものなんでしょう?
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松本 世界が平和であってほしいとか、人を救ったり、子どもたちに喜んでもらえたりするようなことがしたい、という思いは持ち続けています。今は親の介護があるので、いい作品を作ろうとすることだけで精一杯なんですが……。実は10年ほど前、大阪にいた頃に娘が入院した小児病棟で、小児がんの子どもや、心臓移植を待っている子どもなど、重病の患者さんたちに触れたことがあったんです。私自身、娘の入院で絶望的な気持ちになっていたんですが、そのときに、主婦の方たちのサポートチームから支援のお声がけがあったことや、養護学校の先生がミサンガ作りなどのクラフトを教えにきてくれたことで、とても救われた気持ちになったんです。それで、私も、人や子どもたちのために何かをしたい、と思ってトールペイントの講師の資格をとりました。その後はさまざまな場所に呼ばれてクラフトやトールペイントを教えて、多いときでは一度に100人くらいの人に教えたこともあります。
■写真上:トールペイントの技法で描かれた「カフェ・ユニオ」の看板。店内には松本さんの作品も展示されている。
松本 トールペイントやデコパージュ、絵、樹脂粘土を使ったクラフトとか……今日の持ち物にも手作りのものがいっぱいありますよ。ネックレスは木のビーズにナプキンペーパーを貼って作ったもので、靴やカバン、スマートフォンのケースにも自分で絵を描いています。レッグウォーマーも自分で編みました。
■写真上下:松本さんが身につけている手作りの品の数々。
カメラを持つ「安心感」
- 松本さんは、写真家としても活躍しておられます。2010年からコンテスト入選も多数されていますが、そもそも写真を始めたきっかけは、何だったのでしょう?
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松本 私が写真を始めたのは、最初に入選したのと同じ2010年です。もともと自分の両親と、自分の子どもが、写真をやっていたんです。私はいつも撮影の時の荷物持ち担当だったんですが、だんだんそれでは飽きてきたので「自分でも撮ろう」と思って撮り始めました。
私は、子どもの頃から「何かのすき間から覗き見る」というのが好きだったんです。たとえば、デパートの洋服ワゴンの下に潜り込んで、親や祖父が自分を探している姿をこっそり見るとか。写真を撮るというのは、そのときの感覚に近くて、カメラのファインダーから外の世界を覗くと、安心するんですよね。それから、撮っていると快感もあります。興奮しますね。ただ、よく考えて冷静に撮った作品の方が、評価は高いんですけど。(笑) - 写真を撮るときには、どんなことを意識しますか?
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松本 自然の中で風景を撮るときは、その場の空気に波動を合わせるというか、チャンネルを合わせるというか……自分がいなくなっちゃうくらい、その中に溶け込めるようにしていますね。人物を撮るときには、その人が一番かわいく、かっこよく、きれいに見えるような角度で撮ってあげたいと思います。自分を出すんじゃなくて、あくまで対象のために撮ってあげたい、という気持ちを常に持っています。
- 対象の良さを引き出すように心がけている、ということでしょうか?
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松本 そんな感じですね。それから、写真のコンテストって「入賞しやすい傾向」があるので「ちゃんとコンテスト向けにどこかに撮りに行って」と言われたこともあるんですけど、それにとらわれずに、自分が撮りたいもの、身近なものを撮りたいなと。
ただ、最近はちょっと考え方が変わってきましたね。たとえば「お祭りの写真」は入賞しやすい定番の題材の一つなんですが、私は「お祭りなんてどこにでもあるのに、何が面白いんだろう?」と思っていて、あまり好きじゃなかったんです。でも、沖縄での交流展に行ったときに、現地の沖縄の人たちが、本土のお祭りの写真をすごく興味深く見ていらした。そのとき「そうか、自分にとっては当たり前のものでも、珍しいと思う人たちもいるんだ」と気づいたんです。だから、これからは斜に構えずに、そういうものも撮りに行ってみようかな、と思っています。 - さまざまな技法を使ってものを作り続けている松本さんですが、「作り続ける理由」というのは、何かお持ちなのでしょうか?
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松本 私、不安症なんですよね。子どものときはいじめに遭ったこともあるし、家は貧しくて、荒っぽい父が母と喧嘩するのを止めに入るのもしょっちゅうでした。近所に住んでいた祖父は私をかわいがってくれて、習い事をさせてくれましたが、それもなかなか上達しなかったので「お前は人の3倍努力しないと駄目だ」と言われていました。だから昔から、生きることって、怖くて、大変なことなんだと思っていて、いつも不安なんです。
でも、作っている間は、その不安を忘れられます。写真を撮るときなんか、カメラを持つと人格が変わるとまで言われるほどです。だからこそ、作り続けているのかもしれませんね。 - この先は、どんな作品を作っていきたいと考えておられますか?
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松本 いまは親の介護で手一杯なんですが、落ち着いてきたら写真も絵も、もっと基礎を勉強したいですね。それから、子どもたちに喜んでもらえるようなことがしたいですね。たとえば、子ども向けの絵本づくりなんていいかな、と。それから、私にとっては、しょう油でやるかどうか、ということよりも、どの家庭にもあるしょう油という画材だったら、誰でもどこでも描けて、貧しくても、病気でもできるということ……つまり「格差がない」ということが大事なんです。光の当たっていないところに、光が当たってほしいな、といつも思っています。
- まだまだ、松本さんの手から素敵な作品がどんどん生まれていきそうですね。どうか、これからも頑張っていってください。本日は、ありがとうございました。
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松本 ありがとうございました。
■写真上:カフェ・ユニオでの展示の様子(2018年1月)
身近なものに光を当てたい
(2018年1月26日 柏市桜台「カフェ・ユニオ」にて)