世界じゅうの色をあつめて  

柏市大津ヶ丘・中村順二美術館

 

取材・文 津島めぐみ

 中村順二美術館

  柏市大津ヶ丘1-41-5
  Phone 04-7106-7272
  開館時間
   am10:00〜pm6:00
  休館日
   月、火曜日

 公式ホームページ

  www.junjimuseum.com

中村順二美術館HP

―― 画面からあふれるほどの、豊かな色。中村順二さんの作品からは、額縁やガラスを突き抜けるほどの情熱が伝わってくる。1972年に生を受けて以来、世界中を旅し、さまざまな風景・人物から受け取った色で、のびのびと絵を描きつづけた順二さん。1999年、順二さんが27年の人生を閉じたとき、自宅には500点以上もの彼の作品が残されていた。
順二さんの没後、ご両親の手によって、彼が残した作品を展示する「中村順二美術館」が、千葉県柏市大津ヶ丘の自宅跡に建てられた。
今でも、順二さんの作品は、多くの人々を感動させつづけている。
人物・作品とも、ご両親、そして周囲の人に愛された順二さん。彼の生きた日々、そして多くの人々との出会いについて、館を営む中村勝さん・宮子さんご夫婦からうかがった。

*敬称は省略させていただきます 。

はじめての絵

順二さんが絵を描きはじめたきっかけは、何だったのでしょう?

勝 当時住んでいた取手の保育園で、クレヨンで絵を描いてきたのが、最初です。そのとき持って帰ってきた絵を見て、「これは自分にはとても描けない。色の使い方がとてもいい」と思いました。それ以来、順二は、自分でいろんな画材を使って描くようになりました。
ときには、敷き布にまで絵を描いてしまって、怒られることもあったくらいです。昼に描いたものを、まとめて、夕方に見せてくれるので、私が「これはいい絵だ」と思ったものを、額装してあげるようになりました。額装してあげると、順二はとても喜びましたね。

絵画教室に一度、通われているそうですね。そこは、お辞めになったんですか?

勝 初めてお教室に行って描いてきたのが、よく知られている《赤い花》なんですよ。花瓶に生けた花を描いたら、順二は、こういう絵を描いた。そうしたら、お教室の先生が「この子は、とても私には教えられません」とおっしゃって……つまり、1日で教室をくびになってしまったんですよ(笑)。

赤い花「教える」ことができないほど、自由な表現だと思われたんですね。この絵から発散されているエネルギーは、確かにすごいと思います。

 

勝 のちに、日本画家の北尾君光さんのところに通うようになりましたが、そこでも「教わる」というより「一緒に描く」という感じだったようですね。長じてきてからの作品と、初めのころの作品では、先に水彩で色を塗ってから墨やペンで描線をはっきり描く絵が出てくるなど、少し技法に違いはありますが、どの年代でも、つねに、いろいろな描き方を続けていましたね。

写真:代表作のひとつ「赤い花」1982年

題名について

順二さんは、風景や人物のほか、魚や虫、お地蔵さんなど、たくさんの種類のものを描かれていますね。いっぽうで、ぱっと見て「何」を描いている絵かわからないもの(抽象画)もあります。絵の中に題名が書いてあるもの、題名の字が、絵の一部になっているものもありますね。飾られている絵の題名は、すべて、順二さんがご自分でつけたものなんですか?

勝  いろいろですね。自分で書き込んでいるものもあるけれど、私や、順二の兄がつけることもありました。死後に見つかったものなんかは、家族、私や順二の兄が「こういうものを描いたんじゃないか」と想像して、題名を付けています。生前にも、個展をやるために題名が必要になると「こんな題名でどうだ」なんて順二に訊きながら、付けていました。

そうだったんですか。すべてご自分でつけたわけではないのですね。

勝  はい。だから、ちょっとした面白いエピソードもあります。たとえば、この《ワイングラス》という絵(画集『大空をキャンバスに』表紙)。ワイングラス
順二はワインが好きだったので、私が「この絵は《ワイングラス》でどうだ」と訊いたら、ちょっと笑っている。何かと思ったら、これは家なんだ、と言うんです。この絵は、実はだまし絵なんですね。「グラスと背景」ではなくて、その左右の部分が、2軒の家なんです。2軒の家の間に川が流れていて、その向こうに海が見える。でも「それでいい」と言って、この絵は《ワイングラス》という題名のままになったんです。

写真:《ワイングラス》は画集『大空をキャンバスに』の表紙に使われている。

だまし絵も描いていらしたんですか。なんだか「ロールシャッハ・テスト」(インクの染みの見え方による心理検査)みたいにも見えますね。

勝  ええ。本当に、自由に、いろいろな種類のものを描いていましたね。順二の作品が並んでいるのを見た方から「一人の人が描いた絵じゃないみたいだ」と言われることも、よくあります。具象から、抽象から、半具象みたいなものまで……画材も紙もいろいろなら、描くものも、いろいろでした。私自身も、順二の作品を見て「ああ、抽象画というのはこうやって出来ていくのか」と感心したものです。

展覧会1 展覧会2

写真:「中村順二・人物と風景」展の様子。

旅の画家・中村順二

那須や北海道、揚子江にシドニーに・・・順二さんは、いろいろな場所を絵にされていますね。旅には、よく行かれたんですか?

勝  ええ、旅には、家族でも、よく行っていました。順二は、自分からいろいろなところに行きたがりましたね。

絵は、旅先でも描かれていたんですか?

勝  旅先で描くことは、まれでした。落ち着いて描く時間もあまり取れませんから、たいてい、旅に行って、帰ってきてから、見てきた風景を描いていましたね。乳頭温泉に行ったときには、長く滞在したので、旅先で、窓から見える、つららと、雪原の絵を描きました。それも、画集に掲載しています。

(ダウン症による運動障害で)歩くのが大変だった、というお話ですが、それでも色々なところを歩かれたそうですね。
宮子  確かに、高い山に登ったり、泳いだりするのは大変そうでしたが、自分から進んで色んなところに行きたがりました。泳ぐにしても、中学校の水泳大会では、途中で足をついても頑張って泳いで、周りの子たちから声援を受けていたんだそうです。そういう体験ができたことは、きっと順二の同級生たちにとってもいい影響を与えたと思います。

順二像の棚

写真:入口付近の棚には、順二さんの同級生が作った「順二像」のブロンズも飾られている。

 

ダウン症に生まれて

順二さんのお生まれになった当時(1972年)は、ダウン症のお子さんについて、社会での意識も、今とはずいぶん状況が違ったと思います。その頃のことを教えていただけますか。

宮子  私は、順二を特別に育てようとはしませんでした。ただ「この子はいい子だ」ということを全面に出して育てましたし、それは、順二の兄に対しても、妹に対しても、同じことです。順二の兄も妹も、私が順二を叱ると、順二のことを守るくらい、順二を大切に思う子たちでした。子育ては、3人とも、すごく楽しかったですよ。 順二は、普通の子と一緒に、普通学級に進みましたし、それは、ダウン症ではない同級生たちにとっても、順二にとっても、とてもいいことだっただろうと思います。今でも、当時の同級生が順二の絵を見に来てくれることもあります。順二と一緒に過ごしたことは、とてもいい体験だったと語ってくれます。

今でも、みなさん、順二さんのことを覚えてらっしゃるんですね。貴重な体験だったということなのでしょう。

喫茶店の食器宮子  今の人たちのほうが「ダウン症だから」「発達障害だから」といって、別の学級や別の学校に入れられてしまって、本人も、親御さんも、とても苦しい状況に置かれているように思います。それに、同級生や先生も、学ぶ機会を失ってしまっているのではないかと思いますね。いろいろな子がいるからいいのに、それを「差別意識」みたいなもので邪魔してしまっているような気がします。ダウン症のお子さんを持っていて、そのことに悩んでいる親御さんなんかが、この美術館に来て、順二の絵を見ていかれると、すごく前向きな気持ちになって「来てよかった、勇気付けられた」「もっと早く来ればよかった」と、言ってくださいます。
写真:館内の喫茶店で使われている食器類にも、順二さんの絵が使われている。

実際に作品を鑑賞することで、ダウン症を抱えるご本人やご家族を励ますのみならず、周囲の人々の理解も、より深まっていくといいですね。

生前、そして没後にも・・・

順二さんは、生前に、3度、個展を開かれていますね。個展のとき、順二さんは、どんなご様子でしたか?

勝  自分の個展が開かれるときは、とても喜んでいました。自分の描いたものが注目されるのは、好きだったようです。取材されるのも大好きで、記者さんたちみなさんに、絵葉書を描いて配ったこともあったくらいです。今日の取材も、きっと、順二は、喜んでいるだろうと思いますよ。

宮子  人間には、みんな、寿命というものがあります。順二もまた、亡くなったとき、自分の寿命を迎えたということだと思っています。ちょうど、11月22日が順二の命日なので、命日が近づいている今の時期(11月)は、遺影を二階から下ろしてきて、喫茶スペースに飾っています。喫茶スペースに置いてある「順二ノート」にも、いろんな方のお言葉をいただいています。

亡くなったあとも、順二さんの作品は、お二人の開いた美術館や、画集を通して、多くの人を勇気づけ、そして多くの人に愛されつづけているんですね。今日は、お話しいただき、本当にありがとうございました。

勝・宮子  ありがとうございました。

展覧会1 展覧会2

写真:遺影の前に置かれた「順二ノート」には、多くのメッセージが寄せられている。

(取材日・2015年11月14日)
*敬称は省略させていただきました。